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イントロダクション


 東京より北に350km、人口約25万人の山形市。山形県の県庁所在地ですが、日本国中どこにでもあるような小都市です。しかしこの町は、二年に一度、大きく変貌します。「映画の都」に変身するのです。

 山形国際ドキュメンタリー映画祭は、1989年、市制百周年の記念事業としてスタートしました。以来、隔年開催を続け、本年2007年で10回目を迎えることができました。そこでは映像の可能性と未来、そして「現在」を余すことなく提示できてきたのではないかと考えております。そしてドキュメンタリー映画の定義をつねに再定義せざるを得ない状況を作り出してきたと自負しております。

 また、本映画祭の特徴として、インターナショナル・コンペティション以外にも、特に「アジアの視点」によるプログラムが大きな存在として柱となっていることです。これは映画祭草創期に、山形市のとなりの市、上山市牧野に根拠地を置き、ドキュメンタリー映画の制作を行っていた故小川紳介監督の遺言といっても過言ではありません。私たちはそのDNAを着実に受け継いできました。この20年、アジアのドキュメンタリー映画の状況は大きく変化しています。その変化を確実に受け止め、新たな映像を紹介してきました。その中で実に様々な才能が山形から生まれ、世界へと旅立っていきました。これは大いに誇るべきことと考えております。

 「映画の都」とは実はこれだけのことでの謂ではありません。それは運営に携わる山形市民をはじめとするボランティアの方々、あるいは物心両面で支援していただいている山形市、あるいは企業などが一体となってこの映画祭を支えているからなのです。その背景には、山形という土地柄と映画との関わりも大きなエネルギーとなっていることを見落としてはなりません。たとえば戦後の映画上映運動などは全国的にも突出しており、また市民のための映画館建設運動などなど。これらの映画と山形の関わりが映画祭のバックボーンとなっているのです。今回、より山形と映画の関わりを深く探求すべく、「やまがたと映画」というプログラムを始めます。なにが出てくるやら実に興味深いプログラムではないかと思います。これらが有機的に結合してはじめて本当の意味で「映画の都」といえるのだろうと思います。

 私たちは「映画の都」実現のために、さまざまな場を積極的に設けていきたいと思います。たとえば「香味庵」。ここは参加している映画関係者と市民との交流の場。いまや「香味庵で会いましょう」は世界の映画人の合い言葉となっています。映画祭期間中毎日発行するデイリーニュース。日本全国からボランティアが参集し、編集、インタビューと活躍しています。そして「市民賞」の運営。これもボランティアの仕事。映画祭を役所の仕事ではなく、自分たちのものにする、ということで始まりました。これこそが山形映画祭。さあ、ようこそ山形へ。ここには映画への夢と平穏な日常を脅かす衝撃があなたを待っているのです。

富塚正輝