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YIDFF 2007 アジア千波万波
関西公園〜Public Blue
アンケ・ハールマン 監督インタビュー

個人を見ること


Q: どのような経緯で日本のホームレスのドキュメンタリーを撮ろうと思ったのですか?

AH: 私は日本で生活していた時に、日本に公園があまりに少ないことに驚きました。また、その“公園”は、とても公共のためのものとは私には思えなかったのです。ドイツにはたくさんの“パブリックスペース”があり、そこに人々が集まることによって交流が生まれ、そこが政治や社会問題について議論する場所となっているのです。では、今のこの日本の状況では、人々は一体どこでそれを議論しているのだろうと思いました。そして、公共の概念が理解されないがために軽んじられている野宿者たちについて話し合う機会もまた、ないのではないかと思いました。

 また、貧困の差がないと思っていた日本に、これだけの数のホームレスがいるという事実は、外国人の私にはとても驚きであり、きちんとテントを並べて生活する彼らの態度というのは、とても興味深いものだったのです。そんな中、2006年の行政によるホームレス強制排除に背中を押されて、ホームレス救済の活動をしていた大学生とともに、映画を撮り始めました。

Q: この映画は字幕がかなり特徴的ですが?

AH: 私は以前から、映画の字幕と言うものに不満がありました。おもしろさに欠けると思っていました。また、私は伝統ではなく、現代日本の美的文化、大衆文化を映画に取り入れたかったのです。そこで私は、漫画をイメージした字幕を映画に取り入れることにしました。そして、身近な存在であり、文化として強く認知されている漫画とホームレスをリンクさせたドキュメンタリーを撮ることは、文化とホームレスをリンクさせることにつながるのではないかとも思いました。それがホームレスに対する尊厳を伝えることにつながればいいなと考えたのです。

Q: ホームレスに対する哀れみを、あまり強調していないと感じましたが?

AH: 哀れみや、同情を誘うだけでは、彼らのことを表現できないと思いました。むしろ、“彼らは自分たちで自分たちを恥じている”というその“自己理解”の姿勢をとらえることが、ホームレスを社会に伝えるには大切な点だと考えました。自己理解は芸術、哲学などあらゆる面でとても重要なことで、彼らがそれを持っているということが、社会と彼らをつないでいるからです。ですから、彼らに対する皮肉や、彼らが自分で自分を笑うようなブラックユーモアを強調しました。私がやりたかったのは、あくまでホームレスを不憫にみせることではなく、ホームレスの尊厳を高めることです。

Q: この映画はホームレスだけでなく、“ホームレスを通した社会”を見つめた映画だと感じたのですが?

AH: 身近にあるはずの文化やメディアというものは、普段、果たして本当はどれだけ個人を見ているだろうかと常々疑問に思っています。私たちが、大衆文化やメディアを見ているだけではないかと思うのです。私たちが表現したかったのはその逆で、むしろ個人をとらえることから社会を見直そうということです。この映画では“ホームレスの中にあるドラマ”という社会の一部分から、公共のあり方、政治についての考え方を見直そうと提案したかったのです。“個人から公共を見直す”ということです。

(採録・構成:高田あゆみ)

インタビュアー:高田あゆみ/通訳:今井功
写真撮影:鈴木隆/ビデオ撮影:楠瀬かおり/2007-10-05