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YIDFF 2003 インターナショナル・コンペティション
神聖なる真実の儀式
アオレイオス・ソリト 監督インタビュー

作品自体が一つの神聖な儀式です


Q: 演劇を学ばれたり、アニメーションやミュージックビデオを作られていたそうですが、その中でドキュメンタリーを撮ることになった経緯を教えて下さい。

AS: 最初は脚本家として、母親の生まれた部族に伝わる呪文の言葉に興味があり、その呪文を聞くために島へ行きました。自分の脚本に生かそうと思ったからです。そうしたらそこで、島の人々の抱える問題に気付いてしまったのです。それまではアーティストとして作品を作っていたのですが、それどころではなくなりました。部族の抱える問題をフィルムに記録して、人々に知らせなくてはいけないと思ったのです。具体的にはまず撮影することで、フィリピンのテレビ局に知らせようと思いました。

Q: 監督自身は首都マニラで育ったそうですが、母親が部族出身ということで、自分自身も部族の人間であるという意識はありましたか?

AS: マニラで普通に育ち、パンクでクールな(笑)、自由な生活を送っていたので、そういう意識はなかったです。母親自身、自分が部族であるということを恥じて、私に隠していたのです。そのことを知った時は、血をひいているのは、どうしようもないという風に思っていました。自分が部族の人間であると強く感じたのは、初めて母の故郷へ行った時に、土地のおばあちゃんが喜んで、部族の伝統音楽を演奏してくれた時です。楽器の伴奏に、「帰って来た」と即興の歌詞を乗せて、涙を流しながら歌ってくれました。あの時のことを思い出すと、今でも胸がいっぱいになります。

Q: 人工的な光を使用していないそうですが?

AS: カメラを据えるという感じで、炎と太陽の光のみを利用して撮影しています。タイトルのBanarというのは「真実」という意味なのですが、まさに、ありのままを撮るということを意図しているのです。また、Basalは「神聖な儀式」という意味です。結局、作品自体が一つの神聖な儀式そのものなので、人工的なものを排除しているのです。つまり、映画を作るというのは、非常に現代的な方法ではあるけれど、私たちは「土地を返してくれ」ということを願う神聖な儀式として行っているのです。

Q: 監督にとって撮影期間の7年間はどんなものでしたか?

AS: この映画を撮っている時に、「7つの重なった天国」ということを実際に感じました。人間というのは何にでもなれる、人っていうのは変われるということを再確認したのです。

Q: 監督や島の人々の近況を教えて下さい。

AS: 映画を作るという役割は終わりましたが、少数民族の権利回復に関する活動はまだまだ続いています。マニラでは、弁護士、科学者、政治家などとタスクホームというチームを作って、問題に取り組んでいます。マニラにはたくさんの部族の子孫がいるので、それぞれ自分たちのできることに取り組んでいます。この山形の映画祭も、私たちの闘いの一つであって、人々の集まるここで、大勢の人に事実を知ってほしいです。

※インタビューにはスタッフのレジベン・ロマナさんもいらっしゃいましたが、監督の言葉としてまとめさせて頂きました。

(採録・構成:猪谷美夏)

インタビュアー:猪谷美夏、我妻千津子/通訳:斉藤新子
写真撮影:佐藤朱理/ビデオ撮影:松永義行/ 2003-10-12