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YIDFF 2003 アジア千波万波
ニュー(改良版)デリー
ヴァーニ・スブラマニアン 監督インタビュー

あなたの便利な生活のために
誰かが地獄の苦しみを味わっています


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Q: 貧民街の取り壊しという社会問題を探究する試みはユニークだと思いますが、都市開発政策問題に焦点を当てたのはなぜですか?

VS: このテーマに関しては、私たちがそこの住民だからです。都市開発政策のいくつかは過去5年間以上に亘って貧しい人々を排除してきました。最高裁判所も産業廃棄物に関しては企業に対して厳しい判決を下しています。その結果、公害を垂れ流すような企業の多くは閉鎖に追い込まれました。それらのすべては工場でした。それで労働者はどうなりますか? これがニューデリーにおける立退きの最大の原因となりました。さらには開発政策という巨大な基本計画があります。この計画は何度も変更され、多くの貧しい人々は障害物のように扱われ、立ち退かされました。その上、都市は日雇い労働に恩恵をこうむっているのにもかかわらず、私たちを都市計画の展望から除外したのです。都市は経済的に独立し、観光客や多国籍からの投資に最適な――労働者層や貧困などの汚点がない――完璧なグローバル・シティへの変身です。それでも都市には日雇い労働が必要です。そしてそれは悲劇を招きます。私のようなメンタリティーを持った人間は、労働者が追いやられ、今や30キロ離れた仕事場まで通わなければならないという事実を知らないのです。

Q: 山形映画祭で上映されているインド映画のすべては困難な社会的な問題を扱っていますが、社会意識を持するというのはインドではある種、伝統的なことですか。

VS: 皮肉にも、インドで制作されていた、かつてのドキュメンタリーやニュース映画、さらには劇場で公開されている劇映画さえも、政府のプロパガンダのようなものがほとんどでした。ですから今、怒気を帯びたドキュメンタリーやニュース映画が多いのです。だからこそ、ドキュメンタリー映画は暴露するような声として観客に受容され、運動と闘争を起こし得るアジェンダとなるのです。人々が自由に行動し始め、反権威的なこともできるのだと感じられるようになったのは最近のことです。例えば、数年前だったら、このドキュメンタリー映画で試みた方法は可能ではなかったでしょう。

Q: 映画の中で英語を使用したのはなぜでしょうか?

VS: ある人との経験がこの映画のベースになったのですが、その人に手紙を書いてほしいと頼まれました。私たちは8年前、同じ事務所で働いていたのですが、彼の言語は英語ではないのに、英語で書くように依頼されたのです。文法に注目したら、土地特有のもので、とてもインドっぽい英語になっています。私は敬意を持ってこう言っているのです。この映画は識字層を対象にしています。それで私は問題ないと思います。視覚的言語自体はとても都市的なものです。この映画は都市的な言語に、より直截的に訴えるのです。

Q: コンピュータに写し出される手紙という形態でナレーション構造にしたのはどうしてですか?

VS: その人と手紙を書いているうちに閃いたのです。私は何か新しい表現方法を探していました。というのは、デリーで起こっていることは途方もないレベルで行使されている残酷なことでしたので。どうしたら小さな裂け目を入れることができるだろうか。複雑な分析になるのも避けたいことでした。誰かが亡くなるというような悲劇を描くつもりもありませんでした。変に聞こえるかもしれませんが、そこに信実を描きたかったのです。生の物語を望み、その物語のリアルな世界を写し出したかったのです。ひとりの悪人を作り出すつもりはありませんでした。なぜならいくつもの力が同時に働いているからです。

Q: あなたは教養ある観客を対象にして映画を作ったと言っていますが、この映画を知らない人たちのほとんどは開発は正当なことだと受けとめているでしょう。実際に起こっていることを認識させるのは情報提供と教育ですか?

VS: デリーにおける開発のすべてが悪いとは言っていません。都市は上流階級の要望に合わせることもしなくてはなりません。それは必要です。でもあなたの便利な生活のために、誰かが地獄の苦しみを味わっていることを自覚するべきです。遠隔の地で起こっていることに対して同情するのは簡単なことですが、人は足下にある問題を認めたがらないのです。私はその居心地のいいゾーンに踏み込んだのです。そして微かな裂け目を入れ、表現の可能性を創出しようとしたのです。

(採録・構成:山本アン)

インタビュアー:山本アン、伊豫部希和/通訳:なし
写真撮影:佐藤朱理/ビデオ撮影:松本美保/2003-10-14