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YIDFF 2003 アジア千波万波
ジーナのビデオ日記
キム・ジナ 監督インタビュー

大人になること=苦しみを見つめ直す作業


Q: プライベートなことを作品にすることには、抵抗がありましたか?

GK: そうですね。自分で自分のプロジェクトを作り、自分の私生活を見せるということに、最初は抵抗があったことは確かです。けれども、最初は自分をさらけ出すということだと思っていたんですが、撮影を進める過程で、これは社会の問題も映すということ、拒食症や他の病気は自分だけの問題ではなくて、他人の問題でもあるということが分かってきたのです。そのところで抵抗感が薄れてきたのだと思います。

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Q: 日光や照明といった、光が多く用いられていたのが印象的でした。

GK: それはただ単に、光が私の好きなものだからというのもありますし、また自分の心情を表すために用いたということもあります。それ以外にも、私がアメリカにいたときは、友人もなく非常に孤独、孤立した生活をしていたので、人の温かさが欲しかったというのもあります。自分がライティングされることによって、温かさを感じたかったのです。またそれは、カメラにも言えることです。カメラを日常的に回すことで、部屋に帰り、コードを差し込み、モニターの明かりがつくと、まるでカメラが生きているもののように、自分に話しかけている友人のように感じられたのです。

Q: 監督のお母さんについての気持ちは、どのように変化しましたか?

GK: 当初は、母が私の面倒をみてくれていない、愛してくれてない、母は自分のやることで忙しくて、私は見放されているように感じていたのです。けれども、今振り返ってみると、私が産まれたことによって、母の夢を私が奪ってしまったんじゃないか、母のやりたいことが、できなくなってしまったんじゃないか、そう感じるようになりました。あのころの母と同じ年代になった今、同じ女性として母の気持ちがとてもよく分かり、分かり合える、そんな気がします。

Q: 最後に「祖母に捧ぐ」とありましたが、それはどのような気持ちが込められているのですか?

GK: この映画は、私の祖母のためのものでもありました。というのも、祖母は、離婚をし、家族からも見放され、祖母の生涯は孤独で、寂しいものでした。だから私は、すごく祖母に心を寄せていて、それでこの映画を彼女に捧げたいと思ったのです。

Q: 今この作品は監督にとってどのような存在ですか?

GK: この映画を作ることは、自分の病気や、苦しみをもう一度作り上げ、見直す作業であり、とても辛い作業でした。また、作るのに96年から始めて2002年に完成という、とても長い時間がかかったんです。なおかつ、99年の段階では、まだ自分自身の拒食症も完治していない状況で、映画の完成と共に病気も治すことができました。だから、この映画を見ている、同じ病気や悩みをもっている人と、悩みを分け合うことができると思います。また、制作する過程で、母の気持ちをわかることができました。一方で、この映画をベースに『Invisible Light』という、新しい作品もつくることができました。ですから、この映画を作るということは、自分の苦しみを見つめ直すという、とても大変な作業でしたが、私をとても大きく成長させてくれる、そういうものだったと思います。

(採録・構成:矢部敦子)

インタビュアー:矢部敦子、林下沙代/通訳:斉藤新子
写真撮影:大木裕子/ビデオ撮影:近藤陽子/2003-10-13