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YIDFF 2003 第18回国民文化祭・やまがた2003 ドキュメンタリー映画フェスティバル
一人デモ
安藤久魚 監督インタビュー

心を開いて


Q: 冒頭で、悩みがつかめないと言っていましたが、これが撮り始めのきっかけなのですか?

AH: あの時、完全にスランプでした。この作品は、卒業制作だったのですが、それまではドラマを撮っていて、一応続きも撮っていました。でも、今までと同じ事をやるのが、自分の中で許せなかった。それまでやってきた事を壊して、新しいものを作りたかったけど、何をしていいのか分からず旅に出た、という感じです。昔は演劇をしていて、大学に入った時も演劇コースでした。演劇に対する情熱もうやむやなまま、映画に移っていたので、そういう演劇への思いも、この『一人デモ』で完結させたかった。

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Q: この旅を通じて、近所付き合いや、現代の人間関係について、どう思いましたか?

AH: 大阪はいい所ですよ。大学卒業後、大阪の長屋に住んでいました。長屋は家と家とが近く、ごちゃごちゃしてて、人と人とが近い。東京は人間関係も希薄で、冷たい感じがして、嫌だった。みんな自由さが良くて、東京へ来るんだと思うけど、自分にはそれが辛かった。それで、ぬくもりを求めて大阪へ行きました。

Q: 路上で知り合ったレイコさんが、来なかった事について。

AH: あの子を、ひとりの人間としてじゃなく、映画の中のコマとして接して、やさしくしたという裏、自分がこの子を自由にどう動かせるかという汚さが、あの子には見えていた。カメラ抜きで向き合うんだったら、もっと自分と純粋に付き合ってくれていただろうと、反省しました。

Q: 「おっちゃん」と呼んでいた亀野さんに対して、とても親近感を感じていたようですが、今はどんな気持ちですか?

AH: 今、離れているので、自分の中では申し訳ないと思っています。おっちゃんは、今もおばちゃんとあのアパートに住んでいて、連絡はちょくちょく取っています。6月頃におっちゃんが倒れて、それからずっと寝たきりになっていると聞いて、心配しているんですが、ずっと大阪へ行けてない。年内いっぱいくらいで、おっちゃんが危ないから、その前に会いに来いと言われているので、行きたいと思っています。

Q: 撮影後東京へ帰って、気持ちや考え方など、何か変化はありましたか?

AH: 言葉がまず自然と変わりました。それから、おせっかいになりましたね。それまで何にでも意固地で頑固で、人に物を頼んだりする事が出来なくて、この作品も全部ひとりでやるといって、意地はってやっていました。ひとりでも出来るという思いで作り始めましたが、作り終わった後は、ひとりじゃないという事を感じました。

Q: 人情の大切さを感じましたか?

AH: はい、感じました。人と人とのつながりが支えですね。今、沖縄の石垣島に住んでいるんですが、人がいなくて、あまり交流していない。それに、向こうの人は、お酒をすごい飲むんですが、自分はお酒が飲めなくて……。それもあり、付き合いがほとんどなくて辛いです。だから、大阪が恋しい。

Q: 今の自分から作品を見て、どう感じますか?

AH: あの時、すごく大切な事に気づいたのに、また忘れているな、バカだなと思った(笑)。人のぬくもりやつながりを大切に生きようと思っていたのに、また、どんどん出来なくなっていったな……と。

Q: 今、もやもやしている人、悩みをつかめないあの頃の自分と同じような人達へ、メッセージをお願いします。

AH: 人間が苦手で、それを克服するために、この『一人デモ』を作った。それなのに、それを忘れて自分も今そんな状態に戻っている。だから、自分に対しても言える事ですが、心開けよ!っていう感じです。Open mind!! ですね。

(採録・構成:佐藤亜希子)

インタビュアー:佐藤亜希子、林下沙代
写真撮影:斎藤健太/ビデオ撮影:黄木優寿、斎藤健太/2003-10-10