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YIDFF 2003 第18回国民文化祭・やまがた2003 ドキュメンタリー映画フェスティバル
川口で生きろよ!
村上賢司 監督インタビュー

カメラを持つことで俄然面白くなり得る


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Q: よく考えられた構成だと思いましたが、どんな工夫がなされているのですか。

MK: 私が今まで見た映画作品のいくつかをヒントに、事前にきっちりと構成を考え上げました。前半は、いわゆる“回想”であり、後半は、ある一日の出来事を追っています。これは、ドキュメンタリーに対する考え方の説明にもなりますが、私の考えるドキュメンタリーとは、撮影者の存在が見えるものです。存在が見えるというのは、撮影者の人となりがにじみ出ているということです。ドキュメンタリーとは虚構かリアルか、といった比較がよくされますが、それらの比率が100%か0%かではなく、混ざり合っているものだと、私は思っています。それらの間を、行き来できる余白を持たせるようにしています。そもそもその場にカメラがあるという状態こそが、すでにリアルな状態ではありません。私にとって、最も重要なことは、そこに展開されているものが、面白いか面白くないかです。虚構とリアルの間を、常に行き来していたいと思っています。

Q: 川口市という土地の魅力を伝えつつも、映画制作を志す後輩たちに向けられた「好奇心の根を枯らすな!」というメッセージであるように感じました。

MK: 専門学校の講師をしているんですが、「どうすれば、面白い作品が作れるんですか」と、彼らはよくたずねてきます。私は、「自分自身が面白い人間になるしかない」と答えます。しかし、その面白い人間になるというのは、酔っ払って公園の噴水に飛び込むようなことでは、絶対にありません。世の中の、監督と呼ばれる多くの人たちが、なぜ撮るのかといえば、「面白いことがあったから、面白味を感じたから、それを他人に話したい」という欲求を持っているからに他なりません。自分が感じたことを、面白く話せるかどうか、見せられるかどうかが作家です。漠然と生きているのではつまらないです。話したいという欲求を持つ私たちは、カメラを持つことで俄然面白くなり得るのですから。

Q: 『川口で生きろよ!』というタイトルには、どういう思いが込められているのですか。

MK: この作品を撮ることで「生きろよ!」と言われたといいますか、自分が励まされたのだと思っています。私が観客に向かって、「生きろよ」と言うだけでなく、自分も作品から言われたかったという思いもあります。

Q: ラストで、8mmで撮影中に何かおっしゃっているようですが、何と言っているのですか。

MK: 映画には、何かひとつ謎に思えるものがあったほうがいいと思っていますので、秘密にしておきます。自由に考えてみてもらえるとうれしいです。

(採録・構成:小谷真代)

インタビュアー:小谷真代
写真撮影:小谷真代/2003-09-27 東京にて