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YIDFF 2005 アジア千波万波
風経
孫悦凌(スン・ユエリン) 監督インタビュー

映画も生きることも巡り合わせ


Q: 作品を見ていて、笑顔がすごく印象的だったのですが、ラマ僧や村の人々との関係をどのように構築していったのですか?

SY: 特に関係を作るためにしたことはなかったです。とにかく彼らと一緒に過ごし、暮らし、考える。そして、一番大切なことは、自分と彼らは何も違わないんだという意識を持つことです。そのことを、いつも頭に入れています。僕は漢民族で、取材をしている人はチベット族なんですね。生活や宗教などの違いはあるけれども、精神的な面、心は何も違わないということを感じました。

Q: 巡礼に同行することに対して、彼らの反応はどうでしたか?

SY: 彼らは修行を取材することについて、拒否することはまったくなかったです。僕のほうにも、取材しているという感覚は無かったんですね。彼らは宗教人ですけど、宗教人だから拒否するということはないんです。結局、そういう信仰を持っているからこそ、受け入れることができるのだと思います。取材を始めるにあたっても、特にそういう抵抗はなく、すんなりと彼らに溶け込んでいけました。

Q: なぜ、ラマ僧の取材をしようと思ったのですか?

SY: 何かを思考して選んだというよりも、彼らの楽しそうで、生き生きとした様子に気持ちが動いて撮り始めました。だから、ひとつのポリシーやテーマを思考して、「これを訴えたい」という目的で作る作品とは違うんですね。僕にとって人生は、そんなに計画的に行くとか、何かの目的を達成するんだということではない。僕とラマ僧との巡り合せのようなものが重要だと思うんです。この考えは、仏教の教義に根ざしたものでもあります。

Q: 雪崩のシーンがありましたが、映像を見ると動揺している感じをあまり受けなかったのですが。

SY: 実は、僕は結構びっくりして、驚いて震えていたんです。でも、ラマ僧たちは雪崩が起きた所の下で、踊っていたんですね。それを見て、またびっくりしたんです。彼らは、なぜか、雪崩が起きるだろうということが分かっていたんですよ。

Q: 雪崩をある種、喜んでいるように見えたのですが。

SY: 皆が、雪崩に遭遇するわけではないですよね。それこそ、偶然なんです。それはラマ僧たちにとって、山と自分たちの精神が繋がったことでもあるんです。だから、彼らは嬉しそうにしていたのです。また、人間も自然の一部で、雪崩が起きたことは、自分と自然との会話ができたという感覚なんですね。

Q: ナレーションを入れなかったことについては?

SY: 言葉に頼るという方法では、テロップやナレーションによって物事の過程を説明してしまうことがあります。それは絵画であれば、描く過程を見せていることです。絵というものは、完成したものを見せることが表現だと思うんですね。ナレーションで引っ張るということは、描き方を見せていることと同様なんです。結局、それは連続した過程を見せてはいないということになります。そこに現実とのギャップが生まれるんです。説明を入れることで、逆にストレートではない伝え方になってしまうんです。映像で見せるものこそが、真実であるべきなのだと僕は考えています。

(採録・構成:森山清也)

インタビュアー:森山清也、西谷真梨子/通訳:遠藤央子
写真撮影:村山秀明/ビデオ撮影:山口実果/ 2005-10-09