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YIDFF 2005 アジア千波万波
(チアン)氏の家
干超(ガン・チャオ) 監督インタビュー

彼は、苦悩を“家”と共に耐えてきた


Q: 映画の中で、共同監督の梁子(リャン・ツ)監督が宿を紹介されたとありましたが、蒋(チアン)さんとの出会いは偶然だったんですか?

GC: 僕たちは、他の作品を制作中でした。上海で一緒に編集するため、彼女は北京から出て1カ月ほど上海に滞在することになりました。彼女はフリーの作家なので、ホテル代節約のために下宿できる所を探していました。その時、年配の同僚が蒋さんを紹介してくれたのが出会いでした。梁子は、アフリカの先住民と一緒に生活して取材をするほど強い女性なんですが、下宿当初は「蒋さんは、どこか不気味な感じだし、部屋も暗いし嫌だ」と言っていました。しかし、1週間経つと「彼はよく気がつく人で、とても良くしてくれる」と変わりました。

Q: 監督は、「蒋さんと彼の家のとりこになった」と言われていましたが、どこに魅かれましたか?

GC: 上海には蒋さんのように、かつて西洋文化が流入した時代に影響を受け、今でも上流社会的な生活をしている年配の人たちがいて、上海ではそういう人のことを “西洋かぶれのハイカラさん”と呼びます。彼はその典型みたいな人で、生活のリズムも現代の早いリズムと違いゆったりとしていて、昔へ遡っているような人なんです。現代の私たちとは違う生き方をしている所に魅かれました。そして、1カ月経った頃に梁子が「蒋さんってすごいの。毎朝、洋風の朝食を作ってくれて、1カ月間で同じ物がでたことがないの」と話し、どうなるかわからないけど撮ってみようということになりました。しかし、撮るうちに彼を通して僕ら中国人が背負ってきた歴史が見えてきました。だから、彼を撮ることはとても意義があると思え、キチンとこの人と中国の歴史について撮らなくてはいけないと思いました。僕らの気持ちの変化には3段階あり、最初は蒋さんを見て「変わり者」として“笑い”ました。次に彼の背負ってきたモノの重さを見てしまった気がして“涙”しました。3つ目は、家が取り壊される日の彼が去る姿に、深く考えさせられ“沈黙”しました。

Q: オープニングや途中で梁子監督は、蒋さんへ挑発的な言葉を浴びせますが、それは彼に自分の話をさせるためだったのですか?

GC: まず冒頭に、ふたりの性格の違いと、立ち退きの日まで、お互い解りあえなかったことを見せたかったんです。蒋さんは南方の人だから、あまり自分の思ったことを口にしない慎重な人です。そして、梁子は北方の人なので物事をハッキリと言いテキパキしています。実はオープニングは、上海で放映時、年上に対して無礼だと梁子に批判が集中しました。中国の北と南では、地域で性格が大きく違うんです。

Q: 「蒋さんの歴史は中国の歴史と重なる」と言われていますが、そのことには最初から気づいていたのですか?

GC: 勿論、歴史は知っていました。私の親の世代は文化大革命を、その前の世代は戦争等を経験しています。蒋さんはそのすべてを経験してるんです。最初の編集では、資本家の家庭に生まれた彼が文革の時代に、工場でセメントを運ぶ強制労働をさせられる話も入れてました。当時を知る人たちは、裕福だった人が虐待されたことを知っています。だから、彼を世代の象徴として描いたほうが良いと考えカットしました。彼が家から立ち退くシーンは“家”との深い結びつきが見えると考えました。彼は苦悩を“家”と一緒に耐えてきたんです。改めて、あの世代の人の芯の強さに気づき、人間の強さを描きたいと思いました。

(採録・構成:楠瀬かおり)

インタビュアー:楠瀬かおり、中島愛/通訳:樋口裕子
写真撮影:小山大輔/ビデオ撮影:小山大輔/ 2005-10-09