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YIDFF 2007 アジア千波万波
溺れる海
ユスラム・フィクリ・アンシャリ(ユフィク) 監督インタビュー

溺れてしまう前に


Q: 農村の問題を取り上げるようになったのは、どうしてですか?

YFA: 農民は、私たちに食べ物を提供してくれる人ですが、生活水準はあまりよくありません。ですから彼らの生活水準を向上させたいと思い、農業問題に関心を持ちました。インドネシアは自然が豊かで、農業や漁業が盛んです。しかし資本主義経済が入ってきたことで、その自然の中にあった生活システムが、変わってしまいました。農業や漁業をしていた人たちも、彼らが気づかないところで、その生活が変わってしまいました。インドネシアでは「緑の革命」ということが行われてきました。大量生産を目指し、同じ土地に年3回米を作り、農薬も大量に使用するので、これによって土地もだんだんやせてきました。最初に映画を作ったのは、私が自分の国の文化が好きだという理由からです。歴史を見ると、インドネシアというのは統一国家ですが、多民族国家でオランダの植民地でもありました。しかしその根には、インドネシアの農業文化というものがあると思います。この国は、豊かな土地と広い海がありますけれど、実際にそこで生活している人たちは、その生活を楽しむ余裕がありません。私は、書くことはあまり得意ではないので、人と人、村と村、その境界線なく、いろいろな人の生活を、カメラだったら表現できると思ったのです。

Q: 『溺れる海』の意味はどういったものなのでしょうか?

YFA: 映画のように、海から陸になってしまうところもあるし、逆に陸から海になってしまうところもあります。そういう自然の変化はなぜ起こったかというと、すべては経済、それから開発のためです。現実を見てみると、このことで結局は自分たち人間を滅ぼしてしまうのではないか、と感じます。海が溺れるというのは、おかしな表現かもしれませんが、水も溺れる、生きてゆけなくなるということで、このタイトルをつけました。

Q: 作中で湾が干上がりつつある原因を追究せず、その土地に暮らす人々の言葉や生活の様子だけを映しているのはなぜでしょうか?

YFA: 私の映画では、問題の解決方法を探ることはしません。そこに生きている人たちが、日ごろどんな生活をしているのか、何を話しているのか、何を感じているのかを映すことで私の映画となっています。彼らが生きる権利を闘うための道具として、この映画を使ってくれれば十分です。彼らは、弁護士が知っているような権利について、何も知らないのですが、そこで生活をしたいというだけのことなのです。インドネシアは独立した後、デモクラシーがかなり発展してきました。しかしこの土地は一体誰の土地なのかというと、実は海外の資本家のものなのです。天然ガス油田や石油、セメント工場も、すべて彼らのもので、実際にそこで住んでいる人々は、学校に行くこともままならない、生きる権利がまだまだ確立されていません。

Q: 映画を見た人に、何を感じてほしいですか?

YFA: 映画を見た人々に、農民たちがおかれた立場に対して慈悲を持ってもらいたいと思っています。この映画は、ディスカッションの素材として提供したので、お互いにコミュニケーションをとるきっかけとなってほしいと思っています。私はカメラを持つことだけがとりえですので、これからも農民の姿をとり続けていきたいと思います。

(採録・構成:広谷基子)

インタビュアー:広谷基子、横山沙羅/通訳:杉浦外志子
写真撮影:鈴木隆/ビデオ撮影:高田あゆみ/2007-10-07