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YIDFF 2007 ニュー・ドックス・ジャパン
ガーダ パレスチナの詩
古居みずえ 監督インタビュー

パレスティナの日常を見せたい


Q: この映画は、これまでのパレスティナに関する報道に多かった、イスラエル側からの情報ではなく、パレスティナ側からの情報という点でとても新鮮でした。

FM: 新聞では活字の制限、テレビでは時間の制限があり、なかなかすべてを伝えることができません。また、衝撃的な箇所をまとめて流すので、見る側はそれがすべてだと考えてしまうかもしれないけれど、それでは実際のところが見えてきません。それに、似たようなシーンばかりを毎日報道されれば、またか、と思ってしまうでしょう。けれど、実際に生きている人の顔を出せば、同じ人間だと感じるし、その人が殺されたり、負傷したりすると心が動きます。そういうものを出していかないと、パレスティナの本当のところが伝わっていかないなと思いました。そういったこともあって、最初の5年間のスチールカメラで撮影していた頃から、衝突場面だけでなく、日常生活を撮っていたのですが、1993年にビデオカメラで撮影を始めてからは、さらに日常に密着して撮りたいと思っていました。

Q: 古居監督が、ガーダに多くの影響を与えているように感じたのですが?

FM: そういわれることもありますが、ガーダ自身がとても能力のある人だということが重要だと思います。彼女は社交的ですし、私とは性格も全然違う、生き方も違います。実際には、私がガーダに引っ張られる部分も多くて、テレビに取り上げられたり、映画ができたのも彼女の力が大きいと思いますし、彼女がいなければできなかったかもしれない。私がどうのこうの言うレベルではないと思っています。

Q: ガーダは、この作品を見ましたか? そしてその感想は?

FM: ラストが少し違うんですが、大体完成したものと同じものを観ています。彼女も、映画が完成したことを喜んでくれました。メディアなどでは、パレスティナのことを、イスラエルと対抗するもの、あるいはそれより大きなものとして描いています。つまり、テロリストということです。彼ら自身に戦争能力があるように描かれ、時に、イスラエルのほうが被害者のように描かれます。そういう意味で、私がパレスティナ側の視点から撮っていることに、彼女は納得してくれました。それまでは、彼女がメディアを信用できないという時期もあったようです。

Q: この映画で一番伝えたかったことは何ですか?

FM: パレスティナの人々も、私たちと変わらない人たちなのだということを一番伝えたかった。というのは、私自身が現地で一番感じたことだからです。子どもは勉強をしたい、普通はしたくないんだけれど、できなくなるとしたくなるのが人間で、パレスティナには勉強をしたい子どもがたくさんいます。仕事をしたい人も、仕事ができない。子どもを育てたいけれど、殺されてしまうかもしれない。そういった状況の中で、人間らしく生きたいと願っている人たちがいるということを伝えたかったのです。そのためには、普通の人の視点で伝えるのが一番だと思いました。有名な人ではなく、名も無い人の中から選びました。映画に出てくるガーダは突出した人ではあるけれど、彼女のような普通の女性を通して、その日常が見えればいいなと思いました。

(採録・構成:峰尾和則)

インタビュアー:峰尾和則、木室志穂
写真撮影:西岡弘子/ビデオ撮影:西岡弘子/2007-10-07