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YIDFF 2007 交差する過去と現在――ドイツの場合

ユルゲン・ベットヒャー 監督インタビュー

歴史的なものには新たな意味が加わる


Q: 壁のみを淡々と映す映像には、どのような意図があったのですか?

JB: 観客があたかも、その現場にいるような感覚を与えるためです。だからロングショットで撮影しました。また、実際にあった現場の音を感じ取ってほしいと思い、音楽も後からつけることはありませんでした。この映画の主役は壁です。壁は部分的に、その一部が映っています。まるで墓碑のようです。

Q: 東ドイツは、壁を記念碑と考えていたようですね。

JB: 東ドイツの人たちにとっては、生活の上で大きな存在でした。東ドイツでは壁のことを防御壁と呼んでいました。壁によって隔たれていた当事者としては、やはり記念碑として残したかったのでしょうね。しかし、西ドイツにとっては都市計画上邪魔な存在であり、再開発をする上で壁をすべて取り外したいと考えていました。東西ではこういう考え方の違いがありました。

Q: 壁にまつわる人々はとてもコミカルでした。このような描き方は元々予定されていたのですか?

JB: 完全なドキュメンタリー映画ですから、まったくそういうことはありません。1989年から1990年の春まで、何カ月もカメラを持って現場にいたわけですが、ただひたすらに興味のある部分を撮影しました。おもしろい、とか美しい、と感性に訴えるものがあれば、それを撮りたいと思いました。彼らにこのようにしてくれ、と演出したこともありません。映像は説明するものではなく、感性に訴えるものです。東ドイツで監督として映画制作の経験を積む中で、映像では説明しないという姿勢が培われていったのだと思います。イデオロギーを伝えるためのツールとしての映像がかつてありました。そうならないようにするために、人々へのインタビューは避けています。そこに留意すれば、存在の本質に迫ることができると私は学びました。人々はテレビを見慣れているかもしれませんが、テレビはすぐ説明しますし、ショットが短いです。それは精神への情報のインフレだと思いますし、私はそのようなことをしたいとは思いません。

Q: 制作されてから20年近く経ちます。現代で上映することにどのような意義があると思いますか?

JB: 真実を語っているドキュメンタリーとは、非常に価値のあるものと考えています。表面的に捉えたものはそうでないかもしれません。真実を語っているドキュメンタリーは、一時的に忘れられたとしても、10年あるいは100年経った後に見る、そして見せることによってさらに大きな感動を与えることができると思います。自分の亡くなったおじいさんの写真を、何年も後に見るということでそこに新たな別の意味が加わります。壁の崩壊は歴史的に大きな出来事でした。東から西へ逃亡しようとした人がそこで殺され、その背後にはナチスや戦争の過去があるわけです。そのように大きな歴史的意味を持ったものだからこそ、20年経っても人に訴えるもの、語りかけるものが大きいと思います。歴史的なものは価値が失われることはなく、貴重なものになっていくのではないかと思います。

(採録・構成:清水快)

インタビュアー:清水快、峰尾和則/通訳:丹野美穂子
写真撮影:西岡弘子/ビデオ撮影:西岡弘子/2007-10-07