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YIDFF 2009 シマ/島――漂流する映画たち
私の存在しているところ ― そして touch me
比嘉千秋 監督インタビュー

パフォーマンスと沖縄と私


Q: 大学の卒業制作の課題であった「自画像」というテーマから、この作品のアイディアに至るまでの流れを教えてください。

HC: 自分を語る時に、他人に影響されない私の「真の言葉」というものはあるのだろうかという疑問がずっとあって、家に閉じこもってみたりもしたんですけど、結局他者によって自分という存在が認識できているのだと思いました。また、土の中に埋まるパフォーマンスで分かったのですが、地上から出ているということは、ささやかであっても何かを発していることだと感じ、自分も確実に何かを発している存在であり、それを表現してみようと思いました。

Q: 作品の中で、新聞の使われ方にインパクトがありました。新聞で作った塊を地面に叩きつけたり、監督自身が新聞の壁の中に閉じ込められているイメージからは、何かによって抑圧されている印象を受けたのですが……?

HC: 新聞にではなく、自分を作っている情報に対して、それによって作られてしまっている自分というものが嫌だったので、情報に対するストレスはあったと思います。ただ、新聞にこだわりがあったわけではなく、情報という概念に形を与えたいと思った時に、一番使いやすい素材が新聞だったのです。

Q: 新聞の記事の見出しが、沖縄問題を扱っているものでしたが、監督の中で、沖縄人であるというアイデンティティは作品に影響していますか?

HC: 沖縄について描かなければいけないという意見は、沖縄の人からも県外の人からも言われるのですが、私としては、沖縄で撮影している以上、作品の中に沖縄という風景が映り込んでくるのは、ごく当たり前なことだと思っています。ただ、作品が生まれる時というのは、自分の中に「ハテナ?」が出てきた時なんですね。そして沖縄は愛情や怒りなどについて、多くの「ハテナ?」を私に抱かせてくれます。半年間、沖縄を出て埼玉県で生活したことがありましたが、その時に作品を作ろうという気になれなかったのも、沖縄にいないとその「ハテナ?」が出てこなかったからかもしれません。これから作ろうと思っている作品も、沖縄を扱っている内容です。

Q: 映画祭のほとんどの作品が「映画」として作られている中、監督の場合は美術大学の出身ということもあって、映像作品の中に他の様々な表現形態(立体作品、ドローイング、パフォーマンスなど)が見られるのがとても新鮮でした。監督にとって、それぞれの表現方法はどのように違うのでしょうか?

HC: 大学での実習を通して、最初は平面、それから立体と表現方法を体得していくなかで、発展的に自分の表現の幅も広がっていきました。私にとって決定的だったのは、パフォーマンスとの出会いで、それまで表現したくても伝わらないだろうと諦めていたものが、パフォーマンスによって表現できるようになりました。なぜそれを映像に収めるかというと、いろいろな場所に連れていけるからです。「ハテナ?」に対する答えを探すことは、ひとつの旅のように流れがあって、その中で様々な場面が必要になるので、私の中でパフォーマンスと映像は自然に結びついています。

Q: この作品によって、監督自身に何か変化はありましたか?

HC: 人は常に変化しているし、今も探し続けてはいますが、それまで自分で自分をバラバラだと感じていたのが、色々な部分がつながりはじめて、自分がひとつの点としてまとまることができたような気持ちがしました。

(採録・構成:阿部久瑠美)

インタビュアー:阿部久瑠美、高崎郁子
写真撮影:鶴岡由貴/ビデオ撮影:工藤瑠美子/2009-10-12