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YIDFF 2011 アジア千波万波
アジア千波万波審査員
瀬々敬久 監督インタビュー

山形に帰属する


Q: アジア千波万波の全24作品をご覧になって、どのような感想を持たれましたか?

ZT: アジアの様々な国、その国特有の問題があり、それに若い監督が立ち向かい、切り開こうとする作品が多かったのが印象的です。いわゆるドキュメンタリーもあるし、アート的な作品もあり、バラエティに富んでいました。たとえば、料理、服、歌という小さな事柄からその国の歴史、社会を描いていくという作品がありました。9.11以降の自爆テロをテーマにしたもの、消えていくもの、無くなっていくものを追っている作品も多かったですね。

Q: もうひとりの審査員である陳俊志(ミッキー・チェン)さんとはどのような話し合いをされたのですか?

ZT: 私は日本人で、陳俊志さんは台湾人ということもあるのかもしれないですけど、彼はドキュメンタリー映画を政治的に観ます。そこに運動であったり闘争があるべきだ、と。私は人間をどう描いているかを観る。そのような立ち位置の違いもあり、議論はかなり時間がかかりました。やり取りをしていく中で、それぞれが推している作品ではなく、意外な作品が最終的に挙がったりしました。審査会がダイナミックでおもしろい場所だと感じましたね。 また、日本のドキュメンタリーが政治的な作品が少なく、自分探しをテーマにしたもの、人生をテーマにしたものといった個人的な視線で撮ったものが多く、このままいったらまずいのではないかと、私自身考えさせられました。

 それと、私たち審査員の作品を上映しますよね。それはこの映画祭の特色だと思いました。他の映画祭だと審査する側とされる側が分断されるのですが、お互いの作品を見せ合うという双方向の動きがあっていいな、と思います。

Q: 今後、山形国際ドキュメンタリー映画祭がどういう場であってほしいと思いますか?

ZT: 国際映画祭は都市で行われますが、山形のような地方でやることにも意味があると思うんですよ。ドキュメンタリー映画というのは生活とか日常を描くということが多いですね。実際の暮らし、日常がある場所で映画祭を行うということは、その土地の風土、観に来る人の意識と結びついていくことになり、映画にとって重要だと思います。生活に根ざして、映画を観る、作るということはどういうことなのかを考える場として山形映画祭はいい映画祭だと思います。グローバリズム化されていくと、どの映画祭も画一化、均質化されていき、違いがなくなっていく中で、自分たちがどこに属しているのかというのが問題になりますよね。国家に属しているのか、民族に属しているのか。今回の映画祭でも、それを問題にした作品が多かったと思うのですが、故郷やシチズン意識などの小さな帰属意識が今後大事になっていくと思います。それは生活や日常を大事にすることとイコールだと思います。そういう意味において山形で映画祭を行うということは今、現実に生きているということに対して大きな意味があると思います。

(採録・構成:鼻和俊)

インタビュアー:鼻和俊、岩井信行
写真撮影:大塚勇人/ビデオ撮影:慶野優太郎/2011-10-12

link YIDFF 2011:受賞作品 審査員コメント:アジア千波万波