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YIDFF 2011 アジア千波万波
監獄と楽園
ダニエル・ルディ・ハリヤント 監督インタビュー

平和への話し合いのために


Q: 犯人の家族、犯人自身、被害者の家族をとりあげ、多角的な視点でていねいに描かれていて、とても興味深い映画ですが、どのような理由でこの映画を作られたのですか?

DRH: 2002年10月12日、インドネシアでバリ島爆弾テロ事件が起き、202名の死亡者が出ました。私は、ワシントンポストの元記者ヌル・フダ・イスマイルさんと知り合って、インドネシアだけではなく、東南アジアのテロリズムが非常に難しい問題であることを知りました。テロには先生が必ずいて、その先生に教わって次の事件が起こることも認識しました。私は、このテロ事件で死刑判決を受けた、首謀者のアリ・グフロン、実行犯リーダーのイマム・サムドラ、爆弾調達犯のアムロジ、終身刑となった爆弾製造犯アリ・イムロンに2003年からインタビューを試みて、自主制作映画を作ろうと思いました。テロの問題は、インドネシア人みんなが難しい問題と考えています。テロリズムとテロ後のことを考えることで、この映画が、インドネシアだけでなく、アジアの他の国々、できれば全世界の平和のためのメディアになればいいと思っています。

Q: 監督さんは、被害者の家族、犯人自身と犯人の家族も撮影されていますが、どのような立場で撮影されたのですか?

DRH: まず2003年に、犯人たちにインタビューを行いました。バリ警察の許可を得て、録音や撮影をし、普通の立場で会話をしました。それから、2005年と2010年には、被害者の家族に話を聞きました。2007年には、加害者の妻と子どもたちが、刑務所に面会に行くのを撮影しています。どちらかに、味方するということではなく、どちらにも同じように接したつもりです。

Q: 登場人物たちには、この映画を観せましたか?

DRH: もちろん観せました。犯人の妻たちと、被害者の妻エカ・ラクスミさんにはヌル・フダさんを通じて観てもらいました。彼女たちに、この映画を山形で上映することを伝えたら、世界平和を願うために上映することを理解して、日本の皆様へよろしくとメッセージをことづかりました。そして、道中の無事を祈ってくれました。

Q: 日本では、加害者家族に対するバッシングなどが起こりますが、そういうことははなかったのですか?

DRH: 1995年までのスハルト体制下では、共産党のレッテルを貼られ、迫害されるということがありました。テロリズムも同様です。この娘たちも、父親が何をしたのか、ゆくゆくは知られてしまうでしょう。被害者の妻ラクスミさんも、夫をなくしたことが報道の的になることもあります。加害者家族も、被害者家族も、この映画では非常に近い状態で描かれていますから、上映に当たっては、特に子どもたちの将来について、とても注意深く考えなければいけないと思っています。

Q: ジハードについて、どう思われますか?

DRH: 私の国では、日本人はイスラム教徒よりもイスラム的であるとよく言われています。イスラム教では、自然を大切にすることが、教えに組み込まれています。山形に来て、人々は親しみやすいし、自然をよく守って、大事にしていると感じました。よく規則を守り、一所懸命働き、毎日勉強し、川をきれいに保っています。これは、非常にイスラム的だと思うんです。こういうふうに、物事を一所懸命本気でやる、これがアラビア語でいう、もともとのジハードです。一所懸命何かをするということ、人間性を高めることが本来のジハードなんです。

(採録・構成:岡田真奈)

インタビュアー:岡田真奈、堀川啓太/通訳:杉浦外志子
写真撮影:飯田有佳子/ビデオ撮影:遠藤奈緒/2011-10-08