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YIDFF 2011 アジア千波万波
雨果(ユィグォ)の休暇』『オルグヤ、オルグヤ…
顧桃(グー・タオ) 監督インタビュー

エヴェンキ族の「生きざま」


Q: 本インタビューでは、アジア千波万波出品作品『雨果の休暇』と特別招待作品『オルグヤ、オルグヤ…』の両作品についておうかがいしたいと思います。エヴェンキ族を対象とした両作品の撮影のきっかけについてお聞かせください。

GT: これらの作品を撮ったきっかけは、写真家だった私の父が1960年代からオロチョン族やエヴェンキ族の住むオルグヤ地方を写真で撮っていたことです。当時の父は、「じゃあ」といって家から出て行ったきり、3カ月や半年家に帰らないのです。帰ってくると、その容貌たるや少数民族と大差なく、生気に溢れていました。それが私の記憶に残っており、原始的な狩猟生活を営む人々に漠然とした憧れを抱くようになりました。父が撮っていたのはいわゆる芸術とは違う、純粋な記録としての写真です。変わりゆくものの記録を残す重要性を、父は60年代から意識して仕事をしていたのです。私はと言えば、北京の大学の美術学部で絵を描いていましたが、マーケットの希望に合わせても「作品」をつくる北京の風潮にどうしてもなじめず、自身のオリジンに近いものを描きたいと感じていました。そんなときに故郷に帰ると、「オルグヤの彼らはどうなっているんだろう」と父が言うので、父の写真に写っていた人を訪ねて行ったのです。当時2003年に政府は、伐木する少数民族を平地に住まわせる生態移民政策を始めました。私は、エヴェンキ族が強制移住を強いられ普段の仕事に取り組めなくなっている状況に直面し、衝撃を受けました。そのとき、彼らの状況をより包括的に描くために映像で記録をしはじめたのです。

Q: 『雨果の休暇』について、雨果と母親の関係性が作品になるという具体的な出来事はあったのでしょうか?

GT: 私が2004年から撮り続けている作品群のテーマは、中国の北方少数民族の生きざまを描くということで、人の心の中にあるものを通してそれを描きたかったのです。カメラを向けた柳霞(リュウ・シア)は感情豊かで、素直に表現する人でした。オルグヤ地方は冬は寒く、彼女は毎日お酒を飲んで、その度に雨果の名前を呼ぶのです。雨果は、漢名では「ユィグォ」ですが、現地の言葉では「太陽」という意味で、彼女はいつも太陽を見ては自分の息子を思い出していたのです。その様を見るにつけ、私は胸に熱いものを感じ、撮影をしたいと思いました。ドキュメンタリーとしての「作品」を作ろうとして撮影したのではなくて、その胸に迫る姿を記録したいという思いで撮ったという方が適切かもしれません。一方、雨果はとても離れた南方の都会に住んでいて、数年に一回しか会えません。北に帰る道すがら雨果を見ていると、民族の血が騒ぐのか次第に彼の態度も変わり始めました。寝台車での移動中、最初はベッドに寝るのですが、北に行くにつれて床に寝だしたのです。そのような振舞も撮りたい、と感じるものでした。

 私はこの母子の再会の手伝いをしたいと思って映画を撮っていましたが、私自身に資金は十分にありませんでした。そんなときに『オルグヤ、オルグヤ…』を見た、上海に住む女性がふたりの再会のお手伝いをしたいと、旅費を援助してくれたのです。さらに彼女が自分の友人にも声をかけて、その人たちからも援助をしてもらいました。ドキュメンタリー映画に具体的に何ができるか、ということはわかりませんが、ひとりひとりを啓発して行動を喚起させることはできるのだと思います。

(採録・構成:岩井信行)

インタビュアー:岩井信行、堀川啓太/通訳:秋山珠子
写真撮影:大沼文香/ビデオ撮影:木室志穂/2011-10-10