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YIDFF 2013 インターナショナル・コンペティション | 日本プログラム
東北記録映画3部作なみのおと』『なみのこえ』『うたうひと
酒井耕 監督、濱口竜介 監督 インタビュー

語ること、聞くこと


Q: 対話する人同士の微妙な距離感や、知り合いであるのに自己紹介から会話を始めるなど、あえて自然な雰囲気ではなく“改まった場”を演出されていたと思うのですが、なぜでしょうか?

濱口竜介(HR): カメラをむけた瞬間、嘘というわけではないけれども、もう普段のその人ではないですよね。もちろんそのままのその人を撮りたいという気持ちはありますが、そういうものが出てくるには、いちど改まったある意味儀式的なものに入る必要があると思います。嘘っぽさを肯定しなければならない。

酒井耕(SK): カメラの存在を隠そうとする人がよくいますが、それをするとより嘘らしくなってしまう。むしろその人の一番気になる場所に置き、その人の意志によってそれが受け入れられたとき、見ている側もスクリーンにもっと近くなれるのだと思います。

Q: “語る”ということで、体験がある種のフィクション性を帯びると思うのですが、“語る”ことのそういった側面についてどの様に考えますか?

HR: カメラに対して、相手に向かって語りかけるように話すということは、もう演じ始めているわけです。はじめは戸惑っているのですが、次第にルールをつかみ、そのなかでとても自由に動き始める。これはとても役者に似ています。むしろフィクションの中で役者さんにこういう風にいてもらいたいということが起こっている。カメラのために、いずれ映画を見るであろう人のために何かをしているということが、物語性のようなものを生んでいるのだと思います。観客のために語られた何かというのは事実とは、またちょっと違うこととしてあるのです。

SK: 語られることが事実かどうかというのは、誰にもわからないですよね。実際、親子で語られる記憶が異なっていたりする。自分が語りたいと思う世界が出てくるのだと思います。

Q: “語る”の印象が強い『なみのおと』に始まり、“聞く”により焦点をあてた『うたうひと』に着地したことに面白さを感じました。3作品を通して主題にどのような変化があったのでしょうか?

HR: 確かに言われてみれば『なみのおと』でやろうとしていたのは“語りを撮る”ということでしたね。語りだったら撮ることができると思って始めた。僕たちはいつでも良い語りを起こしたいのだけれど、それが起きたり起きなかったりするのは一体どういうことなのだろう、ということを2人で話していました。そして丁度そういうことを考えているときに、『うたうひと』の主役ともいえる、民話の聞き手である小野和子さんに出会いました。小野さんが人から引き出すものが本当にすごい。

SK: 相手が話したいことを、自然と引き出している感じですね。語りの上手い人下手な人がいるわけではなく、聞いている人の在り方で、語りは大きく変わってくるのではないかと考えました。

HR: 今回、インタビューした人全員が映画に登場しているのですが、これだけ誰からでも良い語りが出てくるんだという発見がありました。これまでは、作る側の力が大きいと思っていましたが、目の前にこんなに素晴らしいものがあるんだという認識に変わりました。自分の目の前にあるものが、自分の態度次第でこんなに素晴らしくなるなら、それをしない手はないという気持ちで今はいます。

(採録・構成:宮田真理子)

インタビュアー:宮田真理子、山口将邦
写真撮影:山崎栞/ビデオ撮影:久保田菜穂/2013-10-12