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YIDFF 2013 アジア千波万波
エクス・プレス
ジェット・ライコ 監督インタビュー

フィリピン社会にはびこる暴力の歴史


Q: この映画には、実在の人物を撮ったシーンだけでなく、監督の創作や再現シーンが含まれたり、モノクロとカラーの映像が織り交ぜられたりしています。なぜ、そのような作りになったのですか?

JL: はじめは短編を作るつもりでしたが、鉄道警察の人間で、人を殺した男の話を聞いたことから、構想が膨らんで、長編のドキュメンタリーのようになりました。映っている人の7割が実在の人物で、3割が俳優です。内容によって、モノクロとカラーも使い分けています。俳優やカメラマンは、テレビで一緒に仕事をしている仲間なので、撮影に関しては何の障害もなく、制作費も4万円程度で済みました。問題は編集で、6、7時間分の素材の中から、どのシーンを使うか、どうやって映画を終わらせるか。その判断が難しかったです。

 私にとっては、どこが事実でどこがフィクションかという問題よりも、映画を通してフィリピン社会の本質を描くことのほうが重要でした。国家の横暴がまずあって、70、80、90年代という時代の流れのなかで、暴力性が現実としてあるのです。それが分かるような、人びとの記憶や夢の断片なども描いています。映画には、そのようなイマジネーションが大切だと思っています。言葉遊びみたいなことも、結構入れています。タイトルも、列車は「Express」ですが、テレビの取材からはみ出してできた話、ということで『エクス・プレス』(Ex Press)にしています。

Q: 終始、映画に出てくる「鉄道」は、何を象徴しているのですか?

JL: 鉄道というのは、ひとつの権力のメタファーです。まず国家というシステムがあって、国家の抑圧、というものがある。列車に乗っているのは、鉄道警察という権力者と、乗客という国家に抑圧された人たちです。象徴的な人物として、鉄道警察の人間で虐殺に加担した男が出てきます。彼は本当に指名手配されており、フィリピン国内で見る人が見れば、分かります。彼が捕まらないのは暴力性が未だに社会にはびこる証でもあり、社会が彼を逃がしているからでもあります。その一方で、汚職まみれのフィリピンの政治が続いています。せっかく新しい列車を導入したのに、走らせている線路はボロボロ。これも、政策としては矛盾していますよね。

 同時に、鉄道の周りにいる人たちは一般の人たちで、国家と彼らが置かれている状況の対比というのも表現しています。女の人があまり出てきませんが、それは女性の社会的な立場を表しています。また、線路沿いにかつて住み排除された人たちが、石を投げる人びととして出てきます。もともと沿線に住んでいた彼らにとって、鉄道は怨嗟の対象なんです。

Q: 映画のキーワードとして出てくる「暴力性」を、監督は日常的に感じているのですか?

JL: 私はマニラに住んでいますが、時々自宅にいても安全と思わないことがあります。富裕層が住んでいる区域でも、ふつうに殺人が起きます。山形では、夜中でもひとりで歩けることが新鮮でしたし、コンビニにガードマンがいないのも衝撃的でした。

 映画を観ることで人びとに行動をおこせ、とは言いませんが、フィリピン人は忘れっぽいところがあると思うので、私の映画が観られることを通して「社会の変わらなさ」のようなものが意識づけられたらいいな、と思っています。

(採録・構成:佐藤寛朗)

インタビュアー:佐藤寛朗、楠瀬かおり/通訳:谷元浩之
写真撮影:半田将仁/ビデオ撮影:鵜飼桜子/2013-10-13