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YIDFF 2015 ともにある Cinema with Us 2015
家族の軌跡 ― 3.11の記憶から
大西暢夫 監督インタビュー

撮りたいのはかわいそうなシーンではなく、今の生活の姿だ


Q: 東松島市の人々に、焦点を当てたのはなぜでしょうか?

ON: 取材のために、被災した地域をたどる途中で、2011年8月に東松島を訪れたのですが、その時にちょうど住民が仮設住宅へ引っ越したばかりだと聞いたのです。自治会の方に話を聞くと布団が必要だという要望がありましたので、僕の地元の岐阜に戻って新品の布団を募りました。結果的に380組の布団が集まり、東松島の人々に渡すことができました。そこで関係を終わりにせず、海のない岐阜の人々と、津波にのまれた被災地の人々の距離を縮めるために、東松島で取材したものを地元に持ち帰り、報告会を開いたことが、焦点を当てるきっかけと言えます。

Q: インタビューに作り込んだ感じがなく、私たちが直接話を聞いたときのような距離だと感じました。自然に話を聞くために、意識したことはありますか?

ON: 今回の震災は歴史的規模でしたから、マスコミの方々も含めた全員が、被災された方々にかける言葉を選ぶのに苦しんだ時期が続いたと思います。僕にも、葛藤はありました。一歩踏み出すために、どのような関係性を作っていくかがとても難しく、本格的に取材として動きはじめたのは震災の1年後でした。言葉でのボランティア、取材は頭を使う必要があって難しいですし、覚悟が必要です。勇気を持って玄関をノックし中に入って、一緒に飯を食べ酒を飲めるようになるまでには、長い時間をかけて人や町のことを知ったうえで、関係を積み重ねることが必要でした。

Q: 撮影や編集の際に、気を遣った場面はありますか?

ON: 自分が撮りたいのは、かわいそうなシーンではなく、今の生活です。寂しい、悲しいという言葉は、自分の作品においてそれほど必要がありませんでした。一番考えたのは、母を亡くした2人の子どものことです。今日の上映では東松島から10人来てくれていたのですが、その子たちも来てくれました。その子たちは今日初めて映画全編を観ましたし、上映後は壇上にも立ちました。最初は、気分の良いことではなかったと思います。ですが、僕とその子たちの関係性ができていくなかで、今なら映画を観せても大丈夫と判断しました。取材の時点で、その子たちの家族と僕との間で「どういった環境で、大人たちが育ててきたのかを記録してくれ、代わりに私たちはすべてをオープンにする」という約束をしています。子どもたちの祖母からは「その子たちが18歳になった時に、もう一度この映画をきちんと観せてくれないか」とも頼まれています。その子たちは今日も映画を観ましたが、今日感じたことと、成長した後に観て感じることが、違ってくるのは間違いありませんから。映画の中には、その子たちの母と最後に会った女性の証言もありましたが、彼女を10年後に探し出して、母がどんな人であったか聞こうとしても、詳しい話はできないでしょう。今だからこそ撮れて残せたものだと思います。

Q: 被災していない人々ができる支援には、どのようなことがあると思われますか?

ON: そう言われても、みんな大変でしょう? 被災地の人々でなくとも、それぞれ抱えるものはありますからね。だから僕自身は、やれる人間がやって、他の人たちをを巻き込めばいいと思っています。できない人にお願いしても、お互いに苦しいですから。たとえば、映画を観ることでその売上の何割かが被災地に寄付される、などといった支援の仕掛けをすることは、できる人間がやるべきでしょう。

(採録・構成:薩佐貴博)

インタビュアー:薩佐貴博、安部綾
写真撮影:稲垣晴夏/ビデオ撮影:福島奈々/2015-10-11