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YIDFF 2017 アジア千波万波
風のたより
田代陽子 監督インタビュー

日々の何でもない暮らしは、当たり前じゃない


Q: 東日本大震災前まで、私は原発は安全だと思い込み、事故など考えもしませんでした。監督は「震災の後、記録しなければ」と思ったとのことでしたが、大間の原発を取材されたのはなぜですか?

TY: 震災と原発事故のあと、今まで無知だったことへの怒りがこみあげ、自分に何ができるか考えました。そして「今を記録しよう」と思い、撮影をはじめました。まずは、前作の被写体だった山田圭介さんに電話をし、青森県の大間原発訴訟の原告になったと聞いたので、その状況を撮影しようと思いました。

Q: 反対運動などのシーンより、付近に住む人々の日常のシーンが多いですね。あのような構成にされたのはなぜですか?

TY: 2年間撮影をしましたが、はじめは大間原発への怒りや不安から撮っていました。裁判へ行ったり、勉強会の様子なども撮影しました。その後、山田農場の暮らしも撮りはじめ、ラムヤートの人たちを撮影するうちに、気持ちが変化していきました。被写体の人たちも映画のなかで言っていますが、はじめは不安や怒りの気持ちが多かったのが、現状を認識したうえでどう生きていくのか、というふうに考えるようになったのです。一日一日をていねいに暮らすことで、日常の何でもないことが当たり前に存在するのではなく、それこそが宝物で大切なのだと感じるようになり、人々の日常のシーンを中心に撮影するようになりました。

Q: 映画に登場するラムヤートや、大間のご家族とはどのように知り合ったのですか?

TY: 前作で知り合った人に話を聞きに行ったとき、待ち合わせ場所がラムヤートでした。そこで今野満寿喜さんを紹介され、すぐに意気投合しました。また、函館の大間原発裁判を撮影に行った時に、大間の若い漁師さんに取材をしたいと、大間の元郵便局員の奥本さんに相談し、紹介されたのが山本さんでした。大間の人たちは、カメラの前では原発について話してくれません。大間町は小さな漁村で、町にある会社のほとんどが原発の関連企業です。地域の病院は、お金を出してもらったりしています。そういった理由で、地域全体が原発について公言できない雰囲気があり、本音を話してくれなかったのです。

Q: 大間原発が、土地をすべて買収できていないのに、原発の建設を進めたということに驚きました。最後まで土地を売らなかった熊谷さんと娘さんは、とても気骨のある方ですね。監督は、おふたりの行動をどのように感じられましたか?

TY: 熊谷あさ子さんはすでに亡くなっていましたが、あの土地に生まれ育ち、半農半漁で自然の恵みを享受して生きてきた人でした。その生活こそが大事なんだと、いつも強く言っていたそうです。だから海も土地も守らなければいけない、そんな思いが強かったんだと思います。その言葉に心を動かされた人がたくさんいます。今、函館で原発反対運動の裁判を担当している弁護士さんも、あさ子さんの哲学に惚れたから弁護をやりたいと思ったそうです。なので娘さんもお母さんの遺志を継ぎ、自分はここに残り、闘うと決めたと話してくれました。あさ子さんは亡くなってしまっているけど、たくさんの人から彼女の話を聞き、そんな人だったからこそ彼女の思いを皆が受け継いできたのだと感じました。

(構成:楠瀬かおり)

インタビュアー:楠瀬かおり、遠藤千帆
写真撮影:中根若恵/ビデオ撮影:吉村達朗/2017-10-07