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YIDFF 2025 インターナショナル・コンペティション
日泰食堂
冼澔楊(フランキー・シン) 監督インタビュー
聞き手:吉田未和

日泰食堂は一つの家


 映画の舞台となった長洲島は監督が生まれた場所ということでしたが、どういう経緯で撮影することになったのでしょうか?

 日泰食堂は十代の頃から知っていました。店主の娘さんとの知人を通した縁もあり、店に行くようになりました。映画に出ている他の常連客も同じように昔から知っている人たちです。肥美も昔から食堂に行っていましたが、そうやって友が友を呼んで、若い人も世代が違う人もみんな集まって仲良くなりました。 その中で、私と肥美が一番年下の世代でした。

 台湾で美術を勉強している時に、学校の課題として「家」に関するものを撮りたいと思っていましたが、まだそれほど映画について深く考えているわけではありませんでした。2018年に休暇で長洲島に帰省しました。時間に余裕があったのでちょっと撮影でもしてみるかという気持ちで店に行き、店主が料理を作ったり、煙草を吸ったりする様子を撮影したのが最初でした。 最初は「何を撮っているんだ」「カメラを海に投げ込むぞ」などと言われていたんです。しかし、そのまま撮り続けていると彼の方でも次第にカメラを意識しないようになりました。そのまま2か月くらい撮り続けていましたが、自分のやっていることに疑問を感じ始め、3、4か月ほど撮影を休んでいました。2019年になって学校の同級生が訪ねてきて「長洲島は特別な場所だね」と言ったんです。 それで「そうか。やはりここは撮るべき場所なんだ」と思い直し、撮影を続けることにしました。

 長洲島は非常に小さい場所なので、人々はお互いにずっと知り合い同士で、結びつきも密接なものです。 さらに、交通手段が船しかありません。そのため、非常に封鎖されたと言うか、閉塞的な環境にあるということが離島一般に言えると思います。 閉じられた空間が特有の文化を作り出しています。

 店の方たちとの距離感をどのように考えて撮影しましたか? 上映後の質疑応答では「疑似家族」という言い方もされていました。

 距離というのは私の場合、カメラとの距離になります。撮影時、 例えば店内のテーブルのそばにいて、そこから撮影していました。 つまり、私もやはりその中にいるのです。 私自身の姿は映っていませんが、カメラが捉えている画面を通して、観客も一緒にテーブルを囲んでいるような雰囲気を出したいと思いました。

 店主と萍さん夫妻が外でアイスを食べるシーンがあります。そこに例外的に私の声が入りますが、友人から「どうしてここで初めて監督が登場するのか」と聞かれました。 実はその頃、肥美と店主の仲がとても悪く、硬直状態にあってほとんど会話がなく、撮影でも一緒に映らないような状態でした。

 二人が喧嘩をして口を利かない時期は、ある時は店主だけを撮影をし、ある時は肥美だけを撮っていました。また、 三脚を設置して、二人が同じ店の中で何の接触もなくいるという場面を撮っていたこともあります。肥美には、私を通して店主に自分の考えをわかってほしいという期待があったようですが、店主の方ではもう全く理解できないという感じでしたので、コミュニケーションを促そうとしても徒労に終わる状況が続いていました。

 彼女は毎日のように食堂に通ってきていました。香港で仕事をして、船を降りて家に帰る途中に食堂があり、遅くなっても必ず開いていて明かりが灯っている。自分が帰るところがここにあるという感じがするのでしょう。食堂は一つの家であり、肥美はその一部です。 肥美がいないところでは、私が彼女に代わって発言するというスタイルになりました。 これに関しては賛否両論で、その方法が良かったのかどうかわかりませんが、自分にとっては非常に重要だったと思います。

 都市部で民主化要求のデモが起こり、島でもテレビでニュースを見たり実際にデモに参加したりという変化があります。当時の食堂はどのような雰囲気でしたか?

 当時の長洲島の状況を概観すれば、非常に分裂した状況だったと言えます。例えば、休日に若い人たちは船に乗って香港島に行って、運動に参加していました。一方で、老人たちは島にいて、お酒を飲みながらテレビを見て意見を言うことがありました。 ただ、都市部と違うのは、都市部であればそういった世代間の対立が激化して、若い世代が運動に参加した時には、もう家に帰ってくるなと言われたり、 若者の方でも反発し、互いに接触がない状況が生まれたりすることがあります。それに対して長洲島は、結局小さな場所で互いの関係も濃密なので、若者たちはいつものように帰ってきて、お互いの考えに同意はできないけれども、日泰食堂に集まって時間を過ごすという、そんな関係性が発生していました。 初期段階のラフカットを香港在住の友人に見せたことがありますが「なぜ意見も違うのに一緒のところにいられるのか、理解できない」と言っていました。 ただ、私たちの感覚としては、考えが違うからといって、はっきりと分裂してまったく空間を共にしないとか、そういった態度の方に違和感がありました。これはある種の離島的な感覚なのかもしれません。

 コロナの時期を通して、一種の停戦状態に至ったと思っています。その頃、店主が病気を患ってしまい、このまま私たちは争い続けるのか、あるいは限られた時間の中で和解する方向に向かうべきなのかということを考えさせられたと思います。 また、常連客の中には、結婚したり、子どもが産まれたり、あるいは仕事で香港に引っ越したり、海外に移住したりということがそれぞれあります。当時若かった人々も年齢を重ね、かつては連日のように日泰食堂に通っていた人たちの生活も変わりました。現在の食堂の様子は映画の頃とはかなり違ってきています。 しかし、あたかも、実家に帰省したいと思うような感覚で、身体的には離れていますが、私たちにとっての日泰食堂の意味というのは変わっていないと思います。

 映画祭公式カタログで監督の言葉として「本作は、よくありがちな香港の物語ではない」と述べています。この映画を世界の人にどのように見てほしいですか?

 この時代にあって、香港だけではなく、世界各地で同じような状況に置かれている場所が多いのではないかと思います。 例えば選挙があるとして、選挙を通して家庭やコミュニティの中でも意見が分かれたり、争いや対立があったりということは、アメリカを見ても、日本を見てもあるように思います。ただ、そうした対立を自分の身近な人、家庭の中や親しい人との間でどう処理するかというところを、やはり私たちは立ち止まって考える必要があると思います。 とりわけ、近しい人たちとの関係性を、この分断の時代にどうやって考えていくか、この映画を通して観客の皆さんとともに考えていけたらと思っています。幼かった頃は、家族や故郷はずっとそこにあるもの、永遠にあり続けるものと信じていた気がします。 しかし、成長してみると、世の中に不変なものはないということを学びます。それは日泰食堂であれ、香港であれ、世界であれ、同じではないかと思います。 それでも、ある人がある場所に長い時間いたら、たとえ身体的には離れていても魂はその場所にあり続けるのだと、映画の中で言った人もいます。そのことを最後に伝えたいと思います。

採録・構成:吉田未和

写真撮影:加藤孝信/通訳:秋山珠子/担当:小野聖子/2025-10-13