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ヤマガタ・ニューズリール!

ニューズリール誕生 1968


 1967年の暮れも押し迫った12月のニューヨーク、ジョナス・メカスの呼びかけに集まった若者たちを中心に映画作家集団が誕生した。その名前は「ニューズリール」。そのあまりにシンプルな組織名からは既存の記録映画や社会的な映画のありようを転覆させたいという彼らの渇望が逆に伝わってくる。発足当初、ニューズリールでは配給・制作した作品ごとに番号をふっており、最初に選ばれたNo.1の映画は日本人映像作家おおえまさのりによる『NO GAME』であった。自発的に発生したこのグループは全盛期にはニューヨークのみならず、サンフランシスコ、ロサンゼルス、シカゴ、ボストン、アトランタなど多くの支部が存在した。個性の強い、また才能溢れる若者たちが集まったこのグループでは時には1週間に1本という驚くべきペースで映画が作られ、即座に大学や教会、市民ホールなどで巡回上映された。誕生当初の1968年の作品群を上映することにより、ニューズリールの始まりにおける彼らの昂揚する想いと社会変革への挑戦が見えてくるだろう。


NO GAME ― ペンタゴン・コンフロンテーション

No Game

- 17分/モノクロ/1968/提供:おおえまさのり

ヴェトナム反戦への一大モメントを作り出すことになった1967年10月21日の国際反戦デーに行われた、ワシントンDC米国防総省ペンタゴンへのデモンストレーション。新たな時代を切り拓くべくリンカーン・メモリアルパークを埋め尽くして集まった10万の市民――Dr.スポック、デリンジャー、ノーマン・メイラー、PPM(ピーター・ポール&マリー)……。このデモとこの映画を契機に「ニューズリール」が立ち上げられることになった。ニューズリール第1回配給作品。おおえまさのりとマーヴィン・フィッシュマンが編集・監督。



ジャネット・ランキン団体

Jeanette Rankin Brigade

8分/モノクロ/1968/提供:サード・ワールド・ニューズリール

1968年1月、1万人に及ぶ女性がヴェトナム戦争に反対してワシントンを平和行進した。映画はこの行進を記録し、女性による抗議方法と反戦運動における女性の役割について問いかける。



ミル-イン

Mill-in

12分/モノクロ/1968/提供:サード・ワールド・ニューズリール

ニューヨーカーたちを目覚めさせるために、反戦デモの参加者たちはクリスマス・イヴの洒落た五番街を闊歩。彼らの行進は交通麻痺を引き起こし、休日の消費を妨げる。



ゴミ

Garbage

10分/モノクロ/1968/提供:サード・ワールド・ニューズリール

ニューヨークの清掃員たちによるストが長引く中で、マンハッタンのロウアー・イースト・サイドに住んでいる若者たちは政治的な主張のために、この事態を利用しようとする。彼らは地域の人びとからゴミを集め、リンカーン・センターにゴミを“支配体制”側の文化のショーケースとして積み上げた。



ボストン徴兵反対組織

Boston Draft Resistance Group

18分/モノクロ/1968/提供:サード・ワールド・ニューズリール

この短編はボストンにおける草の根的な反戦組織の一側面として、ヴェトナム戦争中に徴兵反対組織が国中で行った戦略と活動を記録している。組織は法律を利用して徴兵拒否者を支援し、彼らやその地域社会の人々に戦争とは別の方途を指し示す。



- コロンビア大学叛乱

Columbia Revolt

50分/モノクロ/1968/提供:サード・ワールド・ニューズリール

1968年4月、黒人と白人の学生が大学当局に抗議し、学長室を含む5つの建物を占拠。大学の拡大が近隣地域にも及び、ハーレムの悪徳家主のような役割を果たしているからだ。これは公民権運動/ヴェトナム戦争期に抵抗が最初に行われた大学のひとつとなった。学生の占拠から5日、当局と評議員は警察に建物(を占拠している学生たち)を一掃するように命じ、警察はかつてない蛮行と鎮圧を見せつけた。学生反乱軍のひとりによって物語られる事件の詳細な証言は、全国各地のキャンパスでの抵抗をにわかに活気づけた。



- リンカーン・センターへの反論

The Case against Lincoln Center

12分/モノクロ/1968/提供:サード・ワールド・ニューズリール

2万人以上のラテンアメリカ人が、メトロポリタン・オペラとニューヨーク・フィルハーモニーの本拠地となるリンカーン・センター建設のため家を立ち退かされた。映画はそうした芸術に援助するパトロン側(企業と裕福な家族)とそこで展開される文化教養について考察する。またリンカーン・センターの雰囲気と、立ち退かされた地域住民の活気溢れるストリートカルチャーを較べながら、映画はウエスト・サイドが中・上流階級のための高級住宅街になる過程を確実に予見する。



- ブラック・パンサー

Black Panther

15分/モノクロ/1968/提供:サード・ワールド・ニューズリール

1967年のブラック・パンサー党指導者についての説得力あるドキュメント。映画は警察によるブラック・パンサー・ロサンゼルス支部への暴行の余波、党の議長ヒューイ・P・ニュートンの釈放を求めるデモ、設立者ボビー・シールによる党の10箇条綱領の朗唱のほか、ヒューイとの獄中インタビューを描く。ニューズリールの中で最も多く配給された映画のひとつであり、当時は『出ていけ、ブタども(Off the Pig)』という題名で公開された。



4月27日

April 27

10分/モノクロ/1968/提供:カーテムクイン・フィルムズ

厳密にいえば、この映画はシカゴ・ニューズリールの唯一の公式制作作品であり、またキング牧師暗殺の数週間後、シカゴ・グラント・パークで始まったピースパレードの日に撮られた。抗議する8千の人々はパレードの終りに警察の凶暴な攻撃を受け、それは8月の民主党大会の“リハーサル”のようでもあった。この事件以降、ニューズリールのメンバーはいっそう急進化してゆくことになる。



シカゴ民主党大会の挑戦

Chicago Convention Challenge

17分/モノクロ/1968/提供:サード・ワールド・ニューズリール

映画は1968年の民主党全国大会中に行われたデモの映像を駆使して、会議室、集会、道端ですぐさまに組織される反戦運動の様子を伝える。ついには抗議者に対する警察の暴行に発展した事件の、貴重で歴史的な記録。



- 1968年の夏

Summer '68

60分/モノクロ/1969/提供:サード・ワールド・ニューズリール

シカゴでの民主党全国大会を包囲した抗議活動による徹底的な異議申し立てを描いたドキュメンタリー。徴兵反対組織、G.I.コーヒーハウスの成長、新しいメディアの発展や初期のニューズリールが記録されている。この映画はとりわけ、メッセージを発信するため主流メディアを利用しようとした際に、運動が直面した問題を考える上で有益である。また決定的な1968年の哲学、学生運動の戦略と問題も記録されている。



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