English

イントロダクション


ヤマガタ・オンラインの冒険

 第17回目を迎えた今年の山形国際ドキュメンタリー映画祭2021は、オンライン開催となった。この1年半近く、コロナ禍の中であれ、規模を縮小しつつも通常通り山形市内での会場上映ができないかと、スタッフ皆で検討し準備を進めてきた。だが、人口25万人に満たず重症病床数も少ないこの町に、多くのゲストや観客、そしてボランティアの皆さんを安全に迎え入れることが本当にできるのか、懸念はどうしても消えない。抜群に換気能力の高い映画館や、管理の行き届いた公民館での映画鑑賞そのものは十分安全であっても、映画祭の最大の楽しみである、人と人が出会う熱気、笑顔あふれる交流自体にその不安の種がつきまとうのなら、今年はきっぱりと会場開催を諦め、オンライン映画祭としてやれることをやろう。逡巡と激論の苦しい時間をくぐり抜けた末の答えはそれであった。結論が出るまで辛抱強く待ち、結果全日キャンセルまたは利用の大幅縮減となったにもかかわらず、その決断を快く受け入れてくださった地元の公民館と映画館、映写班、その他影響の及んだ多くの皆さんのご支援の気持ちに、まずは心から感謝申し上げたい。

 いつもなら多くの地元ボランティアの皆さんとともに、会場作りやゲスト出迎えの準備などを行う直前の真夏も、寂しく黙々とPCモニターに向かい同僚や関係業者の方々と打ち合わせを続ける。配信やネットワークに関する慣れない専門用語に四苦八苦しながら、多くの技術者の皆さんの手を借り、オンラインでの映画祭環境を整えていくプロセスは、まさに初めてづくしの冒険である。だが、よく考えてみれば、映画祭、という祭りはそもそもナマモノ、常に「新しい」存在だ。作品もゲストも、出会う観客やボランティアの皆さんそれぞれの顔や反応も、当たり前だがいつも新鮮で初々しい。このコロナ禍でも、2年に一度のヤマガタを忘れず、2000本近くの今この世界を見つめる優れた新作を応募してくださった世界中の作家の皆さんにも感謝したい。上映と参加の仕方が会場からオンラインに変わったとしても、それはこれらのいつもの「新しさ」のひとつにすぎないのかもしれない。

 インターナショナル・コンペティション、アジア千波万波のふたつのメインプログラムは今年も、ベテランと新顔の実力派が同居し、歴史から最新の時事、私的映画までバラエティに富んだ内容の、充実したラインアップとなった。一部作品には残念ながら配信が難しいものもあるが、この二部門に加え、人気の「日本プログラム」や「やまがたと映画」、東日本大震災特集「ともにある」など、例年核となるプログラムは今回も継続し、それぞれユニークな作品が揃った。いつもの盛りだくさんの作家との質疑応答やトークイベントも、バーチャルな場でできる限り維持し、展開する。こうした当映画祭お馴染みの出会いの「新しさ」を、オンライン映画祭ならではの新しさとともに、ぜひ全国の多くの方々に堪能いただきたいと願っている。

認定NPO法人 山形国際ドキュメンタリー映画祭
山形事務局長
 畑あゆみ

 


「日常」の開かれに向かって

 山形国際ドキュメンタリー映画祭2021は、収束のみえない新型コロナウイルス感染拡大の状況に鑑み、オンライン開催が決定した。最終決定に到るまでのスタッフ間の議論のなかで、これまでのそしてこれからの映画祭を考える重要な論点も話し合われた。オンライン開催上映をどのように行うのかという思索もそのひとつだ。オンライン配信上映の場合、オンデマンド方式(条件付きで実施期間中いつでも何度でも視聴可能)が主流であるが、YIDFFでは本来の映画祭上映に限りなく近い日時指定配信というかたちを模索した。世界中の映画祭がオンライン開催へとシフトしていく過程で、私自身もオンライン映画祭への参加を経験していたが、日常生活にいながらにして映画祭の配信作品を視聴するのは、思いのほか困難な作業であった。コロナ禍によりテレワークが進み、多種多様なイベントやコミュニケーションがオンラインで行われるようになることで、いまや自宅という私的空間が、労働活動や社会的交流、文化的営みに参加する現場とも化してきた。その意味で、プライヴェートな空間の役割は変容をみせている。私たちが日常生活を営む場は「自宅」「職場」を問わずなんでも地続きなものとなり、携帯電話やメールの着信音、家事がたてる生活音、戸外の騒音もいっしょくたになって鳴り響く空間となっている。このような状況が今日の「日常」とみなせるのならば、せわしない時間の合間を縫って作品鑑賞時間をもうけようとする振る舞いは、すなわち、映画を見るというアクションを積極的に起こす意志を表すものになるのではないか。そしてその意志はきっと、開かれた会場で上映される映画とそれを体感した経験によって突き動かされているはずだろう。

 今回のYIDFFで実施する日時指定配信上映や質疑応答は、一期一会の出会いにつながる映画館での鑑賞に近い感覚をもってご参加いただける機会をつくる試みである。限られた時間のなかでどのプログラムを選択するかは、作品情報の読み込みと自身の勘によって左右される賭けであり、これこそ至福に満ちた映画祭の醍醐味のひとつでもある。だから今回も、観客の皆さんの「日常」の一部にヤマガタの時間を侵入させて、いつでも見られるわけではない配信作品の選択と鑑賞を楽しんでいただけることを心から願っている。

 インターナショナル・コンペティション、アジア千波万波の作品に目を向ければ、いまここにある生の豊かさとその困難さから漏れでる声をさまざまなかたちで「共有」し、「相違」への気づきと「発見」のよろこびへと導いてくれる作品群がやむことなく生み出されていることを教えてくれる。各プログラムには今回も新人監督からベテランまでの顔ぶれが揃っている。2020年以来私たちが生きている世界がひび割れたものであるならば、特別招待作品『武漢、わたしはここにいる』はその現実の足元を照らすことになるだろう。

 授賞プログラムの審査員には、国内在住の制作者、批評家、研究者、作家たちにお声がけした。国内外で、それぞれの表現手段をもってしなやかに活躍されている面々をお迎えできることはこの上ない励みであり、審査員の皆さんがどのように作品を見て言葉を交わし議論を積み重ねていかれるのかをとても楽しみにしている。

 コロナ禍により味わえなくなった映画祭の真なる魅力は、まったくおなじかたちでは提供できないにしても、これまでヤマガタが培ってきた精神は離れた場からでも伝えていきたい。その願いとともにこう申し上げておきたい。今年のYIDFFが上映開始されるさい、スクリーンの幕は参加者それぞれ自身の手によって引き開けられるのだと。

 作品を応募してくださった作家のみなさま、未知なる試みへ甚大なご支援と協力の手を差し伸べてくださったみなさま、そしてオンラインを介して映画祭へ参加してくださっている観客のみなさまへ心から感謝申し上げます。

東京事務局長 濱治佳