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シマ/島
――漂流する映画たち
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  • テレサ・ハッキョン・チャ
  • マリア・ロザリー・ゼルード
  • テレサ・ハッキョン・チャ

    1951年、韓国・プサン生まれ。'63年、家族と共に軍政を逃れてハワイに移民。'64年よりサンフラシスコ在住。カリフォルニア州立大学バークレー校で、フランス文学、フランス思想、比較文学、映画理論などを学ぶ。'74年から、パフォーマンスやインスタレーション、フィルムやビデオの制作を始める。'76年にパリへ留学。 '77年、アメリカ合衆国市民権を取得。1979−80年には韓国に帰国旅行。映画『White Dust from Mongolia』撮影開始。 '80年、ニューヨークに転居。映画理論集 『映画装置』を編集出版。'82年、ニューヨークで暴漢に殺害され、その後『ディクテ』が刊行される。



    シークレット・スピル

    Secret Spill

    アメリカ/1974/英語/モノクロ/ ビデオ/30分
    提供:エレクトロニック・アーツ・ インターミックス

    秘密が定義上、その持ち主の隠したいという意図にも関わらず、こぼれるものであるなら、そのこぼれ方はどのように現れるのか。インスタレーションを秘密の場とし、そこから何かが視覚、音、触覚として溢れる様子を記録する。チャのパフォーマンス・アートから映画的表現へのシフトを印す作品でもある。



    マウス・トゥ・マウス

    Mouth to Mouth

    アメリカ/1975/ダイアローグなし/ モノクロ/ビデオ/8分
    提供:エレクトロニック・アーツ・ インターミックス

    本作は現れとその消滅の結び目を見せる。映像の中で口は8つの韓国語の母音を発音するが、我々はそれらの母音を沈黙において聞き、世界に別れを告げるなかで見る。シネマとはチャにとって出会いと別れ、見ることとその思い出の交差するような物質的平面であったのではないだろうか。



    パーミュテーションズ(順列・変容)

    Permutations

    アメリカ/1976/ダイアローグなし/ モノクロ/ビデオ/10分
    提供:エレクトロニック・アーツ・ インターミックス

    妹ベルナデットの顔を映す6つのショットを異なる配列で布置する。作品が体現する時間は物語的連続としてではなく、特異でありながらも複製であるイメージとイメージの切れ目において現れる。チャ自身の顔が突然挿入されることによって、深い愛情を注ぎながらも、根本的に他者である妹を撮ることと、自伝的作者自身との交差を表すのかもしれない。



    ビデオエム

    Vidéoème

    アメリカ/1976/ダイアローグなし/ モノクロ/ビデオ/3分
    提供:エレクトロニック・アーツ・ インターミックス

    Videoがラテン語の「私は見る」に由来する言葉ならば、『ビデオエム』はビデオ(video)とポエム(poème)、視覚と言語の交差点に位置している。このビデオ・ポエムは完全に目に見えるイメージを欠くために、内側から空白化(vidé)されているといえる。ポエムはそのような盲目性の相続者として、立ち上がってくる。この作品のなかでは1つの感覚はもうひとつの感覚の義足であり、見る者は複数の感覚、芸術、身体の間のささやかな絆を引き継いでいく。



    リ・ディス・アピアリング

    Re Dis Appearing

    アメリカ/1977/英語、フランス語/ モノクロ/ビデオ/3分
    提供:エレクトロニック・アーツ・ インターミックス

    1杯の茶のイメージを提示するが、それは飲む者、そしてさらにはその映像を見るものを眠りへと誘う。観客はそうして記憶のかけらが現れてくる場所である無意識へとアクセスする。それはまるで海の上に浮く出会うことのない船たちのイメージが現れては、「再び消える(re-disappear)」ようである。



    パッセージ・ペイザージュ(通路・風景)

    Passages Paysages

    アメリカ/1978/英語、韓国語、フランス語/モノクロ/ 三面ビデオインスタレーション/10分
    提供:カリフォルニア大学バークレー美術館パシフィック・フィルム・アーカイブ

    作品を構成する3つの画面は、風景をうつす窓や言葉をもらす口のようにして、画面同士の、そして観客との関係を結ぼうとする。多言語でつぶやかれる「灯りをともしてはいけない、まだ」という言葉には、新しい映像や写真の到来を待つ態度の現われのようでもあり、作品はそうした待ち望み、つまり希望のありかのつらなりにも見える。



    エグジレ

    Exilée

    アメリカ/1980/英語/モノクロ/ 16mm、ビデオ/50分
    提供:カリフォルニア大学バークレー 美術館パシフィック・フィルム・ アーカイブ

    朝鮮半島とアメリカの中間のある地点で、作家は光と影のフォルムたちと、スクリーンによく似たもののイメージを集積した。「ある場所」が「どこかの場所」と連なるならば、イメージは根源的に放たれた手紙であり、未来の観衆へと旅する鳥であり、場所と場所をつなぐ記憶のハイフンでもある。亡命を生きるイメージと言葉の贈り物。本作のために作られる特別スクリーンでの上映。