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YIDFF 2003 インターナショナル・コンペティション
天使狩り ― 預言者詩人の四つの情熱
アンドレイ・オシポフ 監督インタビュー

過去からの予言者


Q: べールイについてのドキュメンタリーを作ることは、どのような意義があるのでしょうか?

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AO: 一般的な立場から見れば、べールイという人物は非常に奇妙な人間、おそらくは神からつかわされた人物、予言者、宇宙から来た異星人です。彼は理解不可能で、彼の生き方は、普通のひとびとから、拒絶されていました。けれど、時がたって、違う時代の人々はべールイに戻っていくし、彼は理解されるのです。ロシアはこの10年間、混乱した時代で、経済的にも社会的にも、大きな変化が起きています。そして彼は、人々が、誘惑と、様々な価値観のただ中を、迷わずに前進するための指標となる詩人となります。わたしは非常に複雑なテーマを、観客にわかりやすく伝えていくことが、大切だと思っています。べールイがすべての人に影響を与えるとは思いませんが、この映画を通して、観客に、彼の生き方や運命にふれてほしいと思います。

Q: この映画の背景について、教えていただけますでしょうか?

AO: この映画の前に、マクシミリアン・ヴォローシンというロシアの詩人について、『声』という作品を作りました。そして、その仲間たちと、ロシアの「銀の時代」と言われている時代の文化事情について、3部作を撮ることを決めました。その2作目がこの作品です。3人の詩人に共通することは、普通の人々の価値観からいうと変人といえますが、天が何か大切なことを伝えるために、わたしたちにつかわしてきた人々であるということです。

 象徴主義の詩人たちは、自分たちの創作活動と生活の間に境界を置かず、ある種のゲームという感覚で捉えています。今回はサイレント映画を使っていますが、1910年代には、映画が普通の人々にとって、たいへんな娯楽であり、イリュージョンであり、ゲームみたいに楽しませてくれるもの、という認識があったのです。象徴主義の作家たちの考えていたことと、無声映画がその時代に持っていた娯楽性には、相通ずるところがあると思って、この方法をとりました。映画は、1910年代には幻想であって、芸術としてあまり確立されていなかったのですが、わたしは、1920年代に、ドイツ表現主義の影響などを通過して、映画が、娯楽から芸術に発展したその変遷を探求することに興味がありました。

Q: 古い映像を探し出す過程について、教えていただけますでしょうか?

AO: ロシアには2つの国立のアーカイブがあって、一方は、主にドキュメンタリー映画や写真を扱っているところで、もうひとつは、劇映画が置いてあるところです。まず、シナリオ作家と2人で、べールイの人生の重要な出来事や、ドイツに行ったことのような運命の変わり目を選び出し、全体にわたる物語の組み立てを作りました。それからアーカイブへ行って、2人でフィルムの断片を集めました。使えそうなものがあれば、今度はべールイの生涯をもっと詳しく調査しました。かなりの量の断片を集めたところで、またシナリオ作家と2人で記録にさらに肉付けしました。それは、骨のおれる過程でした。

Q: 自分で撮影をして、映像を加えたりしましたか? 例えば、空撮の映像や太陽の映像がありますが、それはすべてアーカイブでみつけた素材でしょうか?

AO: すべての映像はアーカイブのフィルムです。自分たちで撮影した場面は一切ありません。わたしは、現実の話から、さらに多くを伝えることを目指していました。べールイは、ソーラー飛行船を題材にした詩をたくさん書きましたが、1897年に(彼が一番作家として活発に活動していた時期ですが)、自分が太陽に焼かれて死ぬという象徴的な詩を書きました。太陽の赤い映像がべールイの愛の象徴であり、また彼の不安やロシアの時代を現しています。そしてわたしは、この芸術家によって語り継がれたものより、もっと多くのものを伝えることを目指しました。べールイの人生についての話というのをこえて、孤独やロシアや過去のことについて感じていただけたら、この映画は成功したと思います。

(採録・構成:山本アン)

インタビュアー:山本アン、伊豫部希和/通訳:なし
写真撮影:阿部伸吾/ビデオ撮影:小山大輔/2003-10-15