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YIDFF 2003 アジア千波万波
ヒバクシャ ― 世界の終わりに
鎌仲ひとみ 監督インタビュー

一体、人間何してるんだ?


Q: 様々な立場の核の加害者・被害者が登場しますね。

KH: みんなヒバクシャ(被爆者/被曝者)に見えているから、加害・被害という観点はない。人間は「自分は社会の役に立つんだ。生きていていいんだ」と思わないと生きられない存在。核を支える構造は、そういう人間の根源的なところによって立っている。米国のハンフォード核施設の汚染地帯で日本向け農作物を作るテリーは農業がすごく得意で、良い牧草を作る「ヘイ(牧草)キング」という称号をもらうような人。良質の農作物を作ることが彼の誇りなのに、家族の被曝や土地の汚染を認めると、生活の糧はもちろん、その誇りを根底から奪われてしまう。だから、安全だという政府見解にすがって、自分たちの被害を否定するしかない。あの核施設の科学者も被曝者だけど、同じ構造の中で「放射能による危険はない」と言い切ってしまう。自分の被害を否定した時に加害者になり、被害と加害がない交ぜになった中で、核は温存されていく。また、ハンフォードでも六ヶ所村でも、反対する少数者は周りから迫害を受けるけど、これはトーマス・ペインの『コモンセンス』の世界。「悪いと知りつつ、長年それをやり続けるといずれその社会で当たり前になり、外から来た人が「おかしい」と言うと全員立ち上がって抗議する」。まさしく人間にはそういうところがある。

Q: 映画に出てくる被曝者の人々は、一見とてもお元気そうです。でも被曝者なのですね。

KH: 低線量被曝の犠牲者は、すごく見えにくい形で死んでいっている。肥田先生は「人間は見えない犠牲を見えないものとして、自分の生活の満足を追及する。それは人間の本質の一つだが、それを変えないと人類は滅びる」って。被曝はすぐ目に見えないから、人間は「何とかなるさ」とそこに期待してしまう。でも、そういう半端なことをして楽観していてもしょうがない。人間が人間にしていること。「一体、人間何してるんだ?」という真実を見ないと。見えないわずかな汚染に毎日切羽詰って生きていけないけど、一人一人が少しずつ変わらなくては。

Q: 被害を否定するテリーが「(起きたことを)忘れるのは困難」と答えたのが印象的でした。

KH: あのインタビューはすごく長い。「最後に聞きたい。本当はどうなの? ごまかさないで答えなさい」って詰め寄った。彼も本当にいい奴だから、つい正直に言ってしまう(笑)。本当にいい奴だな、気持ちわかるよ、と思った。自分は大丈夫で、作物もきちんと育つのだから。

Q: 国内では、自主上映で2万人が見たそうですね。海外での上映予定は?

KH: 英語版もあり、米国のNGOに渡してある。侵略者だった日本に原爆が落ちてよかったと思っているアジアの人にも、核の正体を見て欲しい。核開発あるところに核汚染・被曝者ありなのだから。でも、私たちが日本でできることもたくさんある。日本の原発のために出た劣化ウランがイラクに落とされ、国内の52基の原発から実は微量の放射能が垂れ流され、また来年稼動予定の六ヶ所村再処理工場では、原発重大事故で放出される量の25倍のプルトニウム(最も放射能毒性が強い)が、毎年、大気や海中に流されて取り返しのつかない汚染になる。これは自分を攻撃しているのと同じで、大量の劣化ウラン弾を落とされたのと同様のインパクトがあると思う。でも、こんな大変なことをメディアは取り上げない。原発の現地と同じ『コモンセンス』の世界の中で、自主規制しているから。その「やってはいけない」を自分の中で一つ一つはずしていく作業がとても大切だと思う。

(採録・構成:藤岡玲子)

インタビュアー:藤岡玲子、黒川通子
写真撮影:黒川通子/ビデオ撮影:加藤孝信/ 2003-09-29 東京にて