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YIDFF 2005 日本に生きるということ――境界からの視線
Tibet Tibet
金森太郎こと金昇龍(キム・スンヨン)監督インタビュー

楽しめる作品を作る使命がある


Q: チベットの人々は、もはや独立を望んでいないのでしょうか。

KT: もう50年も経ったことですから、気持ち切り替えて、中国と生き延びていかねばっていうのが、皆の中にあるんじゃないですかね。今でもたくさんのチベット人が亡命しているという現実があるから、本意ではなく、仕方なく受け入れなければならないっていう気持ちじゃないかな。在日韓国人にも、自ら望まない移民という部分で共通点はありますね。

Q: 旅の中でダライ・ラマと同行取材をしていましたね。

KT: 僕はチベット問題というものを皆に伝えるには、ダライ・ラマの言った言葉が欠かせないと思うんです。だから、10日間同行取材ができたことは、本当にラッキーなことでした。ダライ・ラマの、一般のチベット人に対する態度とか、30分の取材ではわからないような肌で感じる部分があって。思うに、ダライ・ラマって人は、チベットの精神性を体現しているような人。チベットのことだけではなく、世界の人類のことを考えて、今のチベット問題に取り組んではる人です。それにダライ・ラマの言葉はなぜか外国人にも届くんです。本当にシンプルで当たり前のことばかり言わはるんですよね。たとえば「やるかやらないか迷った時に、やってみよ」。簡単だけどバシッときて、旅の途中で、これを映画にしようと思っている自分も肯定されてきて。何事でも、やってあかんかった時でも、やってよかったなって思える気持ちになるほうが多くなりました。ダライ・ラマはほんま、人類最大の賢者のひとりであると思いますね。

Q: この旅で、民族や文化に対する想いは変わりましたか?

KT: 変わりましたね。昔は、韓国人より日本人のほうが優秀で、発展している国だと思ってた。自分が韓国人だということを、友達に言ったらいじめられると思ってたから、誰にも言わずに育ったの。だから、実際差別とかにあったわけではないんです。でも気持ちは日本人だけど、家に帰ったら韓国人というアンバランスがありました。在日三世の人たちは、僕みたいな気持ちが大半だと思うんですよ。でも今回、作品のために旅に出て色んな国を回っている内に、人間って同じだなぁって思いました。民族とか囚われずに、世界市民として生きていこうと思ったの。ところがダライ・ラマは民族の誇りを捨てまいとして、亡命までやってはる。そこに在日一世の人らの、民族の誇りを持てという想いが重なったんです。チベットの人らは今でも民族について、自分たちの権利やアイデンティティを頑張って守り抜こうとしている。その姿に心を奪われて、映画を撮ることになりました。最初に韓国へ旅をした時は、日本との違いばかり探していたけれど、2年 3カ月の旅が終わってまた韓国に帰ってきた時は、こんなに日本と似てる国あれへんってくらい、180度変わっちゃったんです。日本と韓国だけを見て、ものを判断しちゃいけないなって。ほんで、自分の本名が金昇龍だということも公表できるようになった。それが自分の中での大きな違いですね。

Q: 次回作は考えていますか?

KT: 現在制作中なんですけど、中国雲南省の民族衣装がいかに素晴しいかを伝えようと。それを40分位の作品にしようと思うんですが、全部サイケデリック音楽に乗せてやろうかなぁって。やっぱりドキュメントの映画だからといって形ばかりじゃおもしろくないんですよね。楽しめる作品を作るという使命が、僕にはあると思うんです。だから、楽しめるドキュメンタリー映画を、これからも作り続けて行きたいと思っています。

(採録・構成:中島愛、菅原大輔)

インタビュアー:菅原大輔、中島愛
写真撮影:大森宏樹/ビデオ撮影:佐藤久美子/ 2005-10-08