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YIDFF 2011 アジア千波万波
バシージ
メーラン・タマドン 監督インタビュー

対話の力


Q: 遠く感じたイスラム世界も、同じ人間が作っているのだと感じましたが、監督は映画の中で、理解するためにバシージたちに質問するとおっしゃっていましたね。

MT: そうですね。当初は、互いに理解する関係を築けたらと思っていました。今は少し違います。映画にはそこまでの力は無い。しかし、相手がどう考えているかを知ることができるのではないかと思っています。私はインタビューで、バシージたちを知ろうと心がけました。そのために、互いに話し合う場面が増えないとだめだとも感じました。そこで、少しずつ撮影し、彼らが徐々にもっと伝えたい気持ちになるのを待ったのです。

Q: バシージたちは、監督にストレートに質問してきましたか?

MT: 彼らは、私にほとんど質問しませんでした。彼らはすべて知っていると信じているのです。疑問があっても、私のような一般人には質問しません。イスラム教の専門家にコーランに照らした回答を求めるのです。私は、出会ったバシージたちを通じて、彼らの社会を知りました。その一方で、彼らは、私を私個人としてのみ認識し、私の属する社会には目を向けようとしなかったのです。

Q: 撮影中、怖いと思うことはありませんでしたか?

MT: 撮影中は無我夢中で、怖がっている暇はありませんでした。例えば、嵐の中、海に浮かぶ小舟に乗る者は、必死に漕ぐことしか考えられないはずです。嵐から抜けて初めて、その時の状況を振り返ることができるでしょう。私にとってバシージは、本作を撮影するまで得体のしれない集団でした。もちろん漠然とした恐怖も感じていました。それが本作の撮影を通じて小さくなり、彼らは何が違うのか、彼らの何が怖いか、より具体的に見えるようになったのです。

Q: 思い入れのあるシーンはありますか?

MT: 撮影した1秒1秒が、私にとって新しい発見です。すべてのシーンに思い入れはありますが、中でも一番驚いたのは、暗闇の中、みんなの泣き声が響くシーンです。お祈りの集会に行き、隣の人と話していたのですが、突然、電気が消え真っ暗の中、お祈りが始まりました。すると、とたんに普通に話していた人たちが、みな泣き出したのです。その驚きは忘れられません。

Q: 冒頭、戦跡地でむせび泣く人々に戸惑いを感じました。

MT: 日本で「戦争」と呼ぶことは、イランでは「国防」なのです。その違いが重要です。イランの人たちは、自分たちは殺し合いをしている、つまり戦争をしているとは思っていません。あくまでも国を防衛しているだけです。ですから、自分たちがいかに善人として国を守ったかが全面に出てくるのです。戦った相手を悪人として憎むのではありません。実際に、イラクとは8年間も戦っていたにもかかわらず、アメリカのイラク攻撃の時には、イランの国境で戦火から逃れてくるイラクの人たちを受け入れる準備が進んでいました。イラクがクウェートに侵攻した時も同様でした。

Q: この映画で伝えたいことは?

MT: 相手はどんな人でも、同じ人間です。どんな状況でも、絶対に対話できる可能性があると信じてほしいと思います。カメラの前で、これだけ対話ができたのです。もっと前に進める可能性があるはずです。対話して、腹が立つことがあるかもしれません。実は、それは自分に似ているところがあって、かえって腹が立つのかもしれません。とにかく、まず対話する方法をいつも探してほしいと思っています。

(採録・構成:新垣真輝)

インタビュアー:新垣真輝、石井達也/通訳:高田フルーグ
写真撮影:堀川啓太/ビデオ撮影:遠藤奈緒/2011-10-11