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YIDFF 2015 インターナショナル・コンペティション
祖国 ― イラク零年
アッバース・ファーディル 監督インタビュー

イラクの普通の人々の英雄的な勇気


Q: 2003年の米軍のイラク侵攻から、10年以上が経っています。今、映画を制作しようと思ったのはなぜですか?

AF: 今、イラクで起こっていることは、10年前に起こったことの結果であるからです。2002〜2003年に撮影した映像を編集してこなかったのには理由があります。映画の最後で、私にとても懐いていた当時12歳だった甥のハイダルが殺されます。この10年間、そのことがあまりにも辛くて、私自身、撮影した素材を見ることができなかったのです。しかし、米軍の侵攻からちょうど10年が経った2013年になって、やはり当時の映像を見直さなければならない、歴史的に非常に意味のあるものが映っているはずだと思うようになりました。実際、120時間のラッシュ映像を見ながら、この中に映画がある、これで作品をつくることができると確信しました。ラッシュ映像の中に、既に作品が存在していたのです。

Q: 米軍の侵攻後ずっと砲撃の音が鳴り響くような危険な状況下でも、映画がたんたんと撮られているのはなぜでしょうか?

AF: この映画が、侵攻後のイラクについて、私たちが見せられてきた映像に対するアンチテーゼだと考えているからです。戦争を表現するとき、戦闘行為や死体を平気で見せることが、世の中に行きわたってしまいましたが、私は、映画というのは人間を撮るべきものだと考えています。ですので、死体を映すことや暴力を見せつける、いわゆるスナッフムービー的なことをやって、観客を誘導しようとは思いませんでした。この映画の主題は、イラクの人々の英雄的な勇気、何よりも普通の人々の勇気についてなのです。たとえば、私の義理の兄は、毎日、子どもたちを学校や職場に送っています。外出するたびに、生きて帰ってこられる保障はないのに、そうした毎日を繰り返しているのです。イラクに限らず、危機的な状況に陥ったどのような国や社会であっても、人々は朝起きて、生活を維持しようとします。それをできることは不思議であると同時に、とても英雄的なことだと思っています。

Q: 監督自身は長年、フランスにお住まいです。そうした視点が活かされることはありましたか?

AF: 私は、18歳でイラクを離れるとき、家族が手を振って見送るのを、振り返らないで出てしまいました。フランスで大人になって、自分の失ってしまったものの大きさに気づきました。今では、自分の祖国がいつ、本当に失われてしまうか分からないからこそ、そのイメージを何らかのかたちで残したいと思っています。15年ぶりに祖国に帰ることができた私にとって、見るものすべてが貴重なのです。今後、また戻ってこられるか分からない状況でしたから、残しておきたいものすべてを撮っておこうと思いました。フランス語で“見る”は“Regarder”、“守る・取っておく”は“Garder”と、似た言葉です。見るものを留めておくこと。これが私の映画づくりのアプローチです。

Q: イラク情勢はさらに混迷を深めています。これからもイラクに目を向けていくのでしょうか?

AF: 私の姉が住んでいる町は今、イスラム国の支配下に入っています。そうした変化の始まりが、この映画の中に映りこんでいます。今後10年を考えると、極めて悲観的にならざるをえません。しかし、人々は生き続けています。イラクに戻ると、いつもなぜか希望が見えてしまうのです。私の家族に起こった悲劇は、イラクのどの家族でも起こっていることです。それにもかかわらず、人々は生き続けているのです。毎朝起きているし、愛し合うこともできる、そのことが重要だと思っています。

(採録・構成:沼沢善一郎)

インタビュアー:沼沢善一郎、川島翔一朗/通訳:藤原敏史
写真撮影:石沢佳奈/ビデオ撮影:宮田真理子/2015-10-11