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祖国 ― イラク零年

Homeland (Iraq Year Zero)

- イラク、フランス/2015/アラビア語/カラー/DCP/334分

監督、撮影、編集、録音、提供:アッバース・ファーディル
abbasfahdel.com

2003年春のイラク・バグダッド。ある大家族の日常は、差し迫る戦争の予感を漂わせながらも穏やかに過ぎてゆく。そして連合軍による侵攻後、爆撃の跡が生々しく残る街に疎開先から戻った家族を待ち受けていたのは、常に死を意識して生きざるを得ない毎日だった。2年間の記録を通じて、戦争は日常の延長でいつの間にか始まり、親しい人の死と喪失はあっけなくやってくることを、私たちはまざまざと知ることになるだろう。



【監督のことば】かつてメソポタミア(ふたつの川、チグリスとユーフラテスの間の土地の意)と呼ばれたイラクは、文明の発祥地だった。文字や農業、天文学、法律はこの地で生まれ、町や村が初めて形成されたのもここだった。ノア、アブラハム、ネブカドネザル、ハムラビ、ハールーン・アッラシードと『千夜一夜物語』の地。アッシリア、シュメール、バビロンやバグダッドが栄えていた頃、そこは世界に冠たる地であった。

2003年にイラクに侵攻したアメリカは、この国の豊かな歴史と文明について無知であった。隠されているとされた大量破壊兵器を捜している間に、別の事実を発見できたはずだ。砂丘の下にある世界で最も古い都市を。爆弾によって開いた穴の中に散らばっていた、人類最初の文字を。イラクの背景にある、メソポタミアや聖書の失楽園を。独裁者サダムのポスターで覆われた大祖アブラハムのシルエットを。

 イラクは私が子ども時代と青春時代を過ごした国であり、失われた祖国でもある。イラクと聞けば、親しい人たちの顔、なじみの場所、光、色、香り、イラクの空の下、その空気の中で生きている精神などを思い出す。それらすべてが、私にとっては尽きることのないインスピレーションの源なのだ。

 2002年、新たな戦争の脅威が迫るなか、私は避難先のパリを離れてイラクへ戻ることを決意した。私にとって撮影は生きている証しであり、アメリカの侵攻前夜に家族や友人を撮ることで、差し迫った危険から彼らを守るという“迷信的”な希望を持つことができた。開戦4日前に再びイラクを離れたあと数週間後に戻り、新たな現実――混乱の度合いを深め、私の家族が喪に服すことにもなった、暴力に揺さぶられる国――を撮った。

 『祖国 ― イラク零年』は、何ヶ月にもわたる撮影と編集の結果というだけではない。私が長年、自分の頭と心の中でイラクを温め続け、完成させた作品である。私的な表現であり、人間を取り巻く現実の反映でもあるこの映画は、個人と集団、感情と知識の、ある種の結節点と言える。近年のイラクを深く描いた本作は、言葉でなく映像を介することで、この国が辿る歴史/物語について普遍的な共感を得ることをめざしている。哀れみや興味本位を抜きに、世界中のあらゆる地域の人の目に届くことを願い、私はこの映画を作った。


- アッバース・ファーディル

バビロン生まれのイラク系フランス人映画監督、脚本家、映画評論家。現在はフランスに拠点を置く。ソルボンヌ大学で映画を専攻し博士号を取得。2002年にイラクに戻り、「幼なじみたちはどうなったか、他の国で暮らすことを選ばなかったら、自分の人生はどうなっていたか」を自身に問うドキュメンタリー映画『Retour à Babylone』(2002)を制作。翌年再びイラクに戻り、暴力により国が揺さぶられ、独裁の悪夢がアメリカの占領による混迷に取って代わる様子を目撃したことで、2本目のドキュメンタリー映画『Nous les Irakiens』(2004)を制作する。2008年には長編映画『L'aube du monde』を監督。聖書に登場するエデンの園があったと言われる地に、湾岸戦争がいかに劇的なダメージを与えたかを、戦争をテーマにしたドラマとして描いた。その後、再びドキュメンタリー映画に戻り、本作が作られた。