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アジア千波万波


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映画空間の大海原へ

 アジアの広く深く、どこまでも続くかのような海へ漕ぎ出してみると、同じように漂っている人がいると分かっていても、互いに出会える瞬間まで、もしかして世界でただ一人かもしれない、というとてつもない不安にかられることがある。絶対に誰かと出会えるはずだ、と言い聞かせながら。つまるところ、海底に身を沈めては、浮かび上がり、浮遊し、泳ぎ進めていくしかない。2年に一度、世界各地から、応募してくれた作品の一つひとつを見ていく過程で感じることだ。

 映画祭の準備は、応募作品を見ることから始まる。目の前に広がる大海原から映画、そして世界を知るこの過程は、映画の学校のようでもあり、私は波の間に揺れる作り手の姿に目を凝らし、海底から聞こえてくる映画の声に耳を澄ます。ひとつの映画の種が蒔かれてから生まれ、ここにたどり着くまでの旅路、そして映画のこれからに想いを馳せながら。溺れそうな絶望感、深海に沈む孤独感に襲われながら、私自身に突きつけられる映画のざわめきを受け止めようと右往左往する。

 作品に描かれる人たちを見つめる作り手のまなざしは、作り手が対象と関わっていく姿そのものでもあり、私は映画を通じて、そのまなざしを必死に追いかけようとする。やがて作品が、作り手が、作品に描かれる人が、世界が、境界を飛び越え、時空を旅し、想像もつかなかった所へと誘ってくれるうちに、気がつくと、大海原の中で、ぷかぷかと心地よく浮かんでいたり。映画の誕生をきっかけに切り拓かれる先の世界を見てみたくて、もしかしたら作り手たちも、こんな感覚を抱きながら制作したのかもしれない、と思いを巡らしながら。

- 毎回アジアのアーティストに映画祭T-シャツをデザインしてもらっているが、今年は、作り手の「手」だ。インドネシアのアーティスト、エレナ・エカラヘンディ&ゲリー・ポールアンディカに依頼したところ、インディペンデントで映画を作る人たちが、作り手と生み出された作品とが関わりあう行為を「手」で表現したと説明してくれた。既存の映画の枠組みに常に挑み、壊し、はみ出し、新たな表現を生み出していくスピリットとしての「手」。

 作品を作る手、掬う手、渡していく手。怒りの拳であるかもしれないし、権力に抗う手、喜びの拍手、言葉を紡ぐ手、抱擁の手、過去を振り払う手、雲を掴もうとする手、頭を抱える手、手紙をしたためる手、涙を拭う手、カメラをまわす手、おそるおそる、あるいは果敢に手を伸ばしても届かない「何か」……。その手で、土を耕すように、映画空間を開拓していく時、そこに何が芽生えてくるか。作品、作り手、観客、そして映画祭で上映されるまでの過程に関わる、多くの人たちが交わる空間から生まれる、出会いの瞬間の連なりは、千波万波となり、無限に広がる映画空間の大海原となる。

 映画がなければ、映画祭もない、映画祭で作品と人が出会うこともない。幾通りもの無限の可能性を秘めた空間も生まれない。今年も数多くの方々の「手」を借りて、アジア千波万波プログラムが船出します。この場を借りて、深く感謝いたします。

若井真木子(プログラム・コーディネーター)