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インターナショナル・コンペティション 審査員


 山形国際ドキュメンタリー映画祭2011インターナショナルコンペティション作品15本の中より、ロバート&フランシス・フラハティ賞などを決定する5名の審査員をご紹介します。

※カザフスタンのアミール・カラクロフ監督に代わり、インドのアマル・カンワル監督が審査員に決まりました。

(名字アルファベット順)


アトム・エゴヤン(カナダ、映画監督) Atom Egoyan

1960年生まれ。亡命アルメニア人の両親の元、エジプトに生まれる。幼くしてカナダへ移住。19歳で初めての短編映画を撮る。1984年に長編デビュー。以降監督した14本の長編映画は、カンヌ映画祭で受賞5回、アカデミー賞ノミネーション2回をはじめ数多くの受賞歴を誇る。『エキゾチカ』(1994)、『スウィート・ヒアアフター』(1997)、自分のルーツに関係の深い『アララトの聖母』(2002)など。最新作は『CHLOE/クロエ』(2009)。カンヌ、ベルリン、ヴェネチア、サンダンスなど多くの国際映画祭で審査員を務めた。近年はヴェネチア・ビエンナーレなどでアート・プロジェクトを発表。オペラ(『ワルキューレ』や『サロメ』)や舞台劇(サミュエル・ベケット『Eh Joe』)の演出でも新境地を開き、高い評価を得ている。今回の来日には、多くのエゴヤン作品に参加し受賞歴も多い、女優のアルシネ・カンジャンさんが同行する。



ハイレ・ゲリマ(エチオピア・米国在住、映画監督) Haile Gerima

1946年生まれ。エチオピアのゴンダール出身。現在アメリカ・ワシントンD.C.のハワード大学映画学教授。アフリカ人の視点から、アメリカや西半球に移住したアフリカ系移住者の課題と歴史を描く作品を多く監督している。1976年に製作した代表作『三千年の収穫』(ロカルノ映画祭 銀獅子賞)で、アフリカを代表する映画作家として知られるようになる。『三千年の収穫』は2006年のカンヌ国際映画祭で完全修復され、プレミア上映された。1983年のベルリン国際映画祭で“Ashes and Embers”(1982)が国際批評家連盟賞受賞(フォーラム部門)、1993年同映画祭コンペティション部門で“Sankofa”(1993)が上映。2008年、『テザ 慟哭の大地』がヴェネチア国際映画祭のコンペティション部門に出品され、審査員特別賞・金のオデッサ賞(脚本賞)・SIGNIS賞をトリプル受賞した。



市岡康子(日本、テレビドキュメンタリー・プロデューサー/ディレクター) Ichioka Yasuko

1939年生まれ。1962年東京都立大学人文学部卒業、日本テレビ入社。1964年テレビドキュメンタリーの草分け的番組である『ノンフィクション劇場』の制作グループに加わり、プロデューサー牛山純一氏の下で番組制作を始める。1972年、同氏の主宰する日本映像記録センターの設立に参加。1966年から1990年まで放送した『すばらしい世界旅行』のプロデューサー/ディレクターとして、主にアジア太平洋地域の生活文化を民族誌的な視点から記録。2001年から07年まで立命館アジア太平洋大学教授。



アマル・カンワル(インド、映画監督) Amar Kanwar

1964年生まれ。居住地であるニューデリーで活動中。エドヴァルド・ムンク現代芸術賞(ノルウェー)受賞者であるカンワルは、インド亜大陸の政治・社会・経済・環境状況を、その詩的かつ思索的な映画で探究している。インド・パキスタン国境における暴力と非暴力の問題を検討し、YIDFF '99でも上映された『外部の季節(1997)は、ムンバイ国際映画祭でゴールデン・コンチ賞を、サンフランシスコ国際映画祭でゴールデン・ゲート賞を受賞。YIDFF 2003で上映された『予言の夜(2002)は現代インドの詩歌を、『Torn First Pages』(2003-08)は現代ビルマ状況を探究。ほかにも数多くの映画祭で受賞歴あり。またその映画作品は、アムステルダムのステデライク美術館、ニューヨーク近代美術館、オスロ国立美術館などで、特別展示の対象にもなっている。ドイツのカッセルで行なわれた、ドクメンタ11(2002)とドクメンタ12(2007)にも参加した。『稲妻の証言(2007)がYIDFF 2009で上映された。

審査員作品:
犯罪の現場
インド/2011/英語/カラー/HD/42分


フェルナンド・ペレス(キューバ、映画監督) Fernando Pérez

1944年生まれ。ハバナ大学卒業後1962年よりキューバ映画業界に入る。1971年からトマス・グティエレス・アレアとサンティアゴ・アルバレスの助監督。1975年よりドキュメンタリー作りを始め、1982年に著書『戦争特派員』がカサ・デ・ラス・アメリカス賞を受賞。1987年に初の長編劇映画『危険に生きて』を発表。数多くの国際的な賞を受賞する。その後『ハロー・ヘミングウェイ』(1990)、『口笛高らかに』(1998)、『永遠のハバナ』(2003)、『Madrigal』(2007)などを監督。ハバナに暮らす12人の人々の日常をナレーションやインタビューを一切使わずに描いた『永遠のハバナ』は国内で30万人を記録する大ヒットとなった。