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共振する身体
フレディ・M・ムーラー特集


双子のように――映画によってつながれる世界、重なりあう世界 フレディ・M・ムーラー

出会いの場――山形を通して発見する二人の映画作家 ジャン=フランソワ・ゲリー

後援:在日スイス大使館


通行路パッサーゲン、そして私たちは身体感覚を開く

 スイスのドイツ語圏に生まれたフレディ・M・ムーラー(1940−)は、ダニエル・シュミットやアラン・タネールらと並び、1960年代後半から80年代にかけて、国際的に高く評価された新しいスイス映画の潮流「ヌーヴォー・シネマ・スイス」の旗手のひとりとして知られている。とりわけ、『山の焚火』(1985)は、隔絶された山岳地帯を舞台にして、姉弟の近親相姦とやがて訪れる悲劇を描き、ロカルノ国際映画祭金豹賞を受賞している。以後、現代の神隠しをモティーフにしてスイス社会を批判した『最後通告』(1998)や、アカデミー賞外国語映画賞のスイス代表に選ばれた『僕のピアノコンチェルト』(2006)など、日本ではいずれも劇映画ばかりが商業的に配給されてきたが、その「実験映画」や「ドキュメンタリー映画」に関しては、1986年に開催されたスタジオ200やアテネ・フランセ文化センターにおける 特集上映レトロスペクティヴをのぞけば、ほとんど紹介されていない。

 ムーラーの作品は、その活動時期の移行にも呼応して「実験映画」「記録映画」「劇映画」にも分類されうるが、一貫するのは、ジャンル、題材、地域を超えて、コミュニケーションの不自由と可能性を映画において探求する姿勢にある。人々は、双眼鏡で遠くを覗き、虫眼鏡で対象を拡大し、大地の震えを肌で感じながら、けっして言語だけにとどまることのない身振りや皮膚感覚を通して、自らの身体を世界へと開く。そのとき、映画のなかの芸術家(『チコレ』ベルンハルト・ルジンブール』『サッド・イズ・フィクション』)は、映画作家の「彼」でもあり、映画を観る「あなた」でもあるだろう。あるいはまた、険しい山々に囲まれた空間(『われら山人たち』『緑の山』)は、スイス・アルプスの集落であると同時に、ムーラーと親交のあった、小川紳介の描く山形・牧野村の共同体へも繋がるはずだ。じっさいに、小川は自分の作品をムーラーの映画の双子のように考えていたという。それぞれの共同体に固有の「アイデンティティ」を探すよりも前に、国境や国家といった概念を超えて互いに反響し合う魂と身体にこそ注目すべきではないか――とりわけ辺境の地に暮らす農民たちの社会と文化を映し出すムーラーの「山三部作」を通して、私たちは世界の広がりゆく感覚に出会うだろう。

 今回の特集上映を実現するにあたり、フレディ・M・ムーラー監督ご本人には全面的にご協力いただいた。心から敬意を示すとともに、深く感謝いたします。

土田環(プログラム・コーディネーター)