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春の気配、火薬の匂い:インド北東部より


A. 硝煙弾雨の後、アッサムの記憶

B. 悠久の時間、風景が語るもの

C. アリバム・シャム・シャルマの文化映画

D. 時代を超える歌

E. 山の民、水の民 時代の軋み

F. インド情報放送省映画局 40年をはさんで

G. 春の気配 変わる信仰、民主主義、女性たち


企画協力:公益財団法人 笹川平和財団

なぜインド北東部のドキュメンタリーなのか?

  1. インドの北東部を描いたドキュメンタリーについて思いを巡らすのに、まず、その地理から考えてみよう。ブラフマプトラ川やバラック川といった大河が蛇行する平原、その隣り合わせにそびえるヒマラヤ山脈。その空間に血を通わせ、歌、恋、思い出、そして苦難を生き抜いてきた人々と古代からの共同体の数々。いや、こんな壮大な見立てで、この地域の記録映像づくりを捉えてしまっていいのだろうか? 「 物珍しい異邦人」という被写体を生み出した、植民地国家構造による近代主義的言説に触れずにして。

  2. 物珍しい対象にされた私たち。コロニアリズム、そしてポストコロニアリズムにあってもなお、地図に取り憑かれた者たちの視線は、相変わらず、原始主義、エキゾチズム、開発といった行政官たちのそれだった。有名なアッサム紅茶のドキュメンタリー、宣教師や開発機構の救済を待ちわびる未開部族の民俗学的映像……。インド北東部に映像記録の習慣を持ち込んだ大英帝国による植 民地主義的イデオロギーは、インドが独立した1947年8月15日を過ぎてもなお続いたのである。
     典型的なインド人の意識の中では、ドキュメンタリーが、いまだに国家が鎮圧し、平穏をもたらすべき地域を映し出す付属装置として捉えられていると言っていいだろう。つまり、インド北東部を映すドキュメンタリーは、インド国家統一を証明するもので、マイノリティの言語を操る少数民族コミュニティの人々にいたっては、成長へと向かう輝かしい行進を彩る、単なる珍しい文化の飾り物でしかないのだ。

  3. 北東部の諸地域は、インドの独立記念日を興奮して迎えはしなかった。民族コミュニティによっては、新インドの政治体制に抵抗するべく立ち上がった。対して、独立したばかりの国家は、武力による「火薬の匂い」をくゆらせた。その他の者たちは、政治の現実を消極的に受け入れる姿勢を取った。北東部の映像制作者は、機材(と資金)の不足に阻まれ、抵抗と支配の弁証法の間で道を切り拓くしかなかった。「春の気配、火薬の匂い」というドキュメンタリー特集が位置するのは、このような脆く偶発的な舞台の上なのである。

  4. この特集は、インド北東部の特産品を並べた観光パンフレットのようなものではなく、作品と監督のスタンスを見出し、組み合わせながら、インド政府が地元に押し付けようとしている思想的な筋道を奪還しようと(または乱そうと)してきた映像制作者の取り組みと歴史 を示す。同時にこの特集は、ただ抵抗にのみ光をあてるというのではない。

  5. 北東戦線異状なし、とインド国民に告げるプロパガンダ映画(『ナガランドの胎動』)がある一方で、本土が忘却を望んでいる歴史を発掘する作品(『ミゾ民族戦線:ミゾの蜂起』)がある。数多ある歴史の中で、ドキュメンタリーはどの風景の歴史を掲げるのか(『老人と大河』『森の奥のつり橋』)。記憶の忘却にあらがう文化はどれか(『マニプールの蘭』『ライハラオバの踊り』『アルナーチャル州モンパの民』)。セピア色の郷愁に流されるままにするのか、社会の暗部も現代のアーカイヴとして公開するのか(『浮島に生きる人々』『新しい神々に祈る』『めんどりが鳴くとき』)。歴史的暴力が引き起こす論争の重みにどう向き合ったらいいのか(『僕らは子どもだった』『田畑が憶えている』)。壊滅的な近代主義の行進の中でメロディはまだ聞こえるのか(『秋のお話』『こわれた歌、サビンの歌』 『ルベン・マシャンヴの歌声』)。

 本特集で上映される映画は、インド北東部の地域と人々、仮初めのものでありながら啓示的な会話が織りなす模様を記録した、テーマ別の道しるべである。それは歴史の境界線を越えた友愛の可能性を私たちに示してくれる。それは決して物珍しさなどではない。

タルン・バルティア(映像作家)

 


知られざるインド北東部の素顔

 インドの地図をご覧になった方は、逆三角形の南アジア亜大陸の中で、北東に不自然に突き出た地域に目を引かれた人も多いのではないだろうか。ブータンとチベット、ミャンマー、そしてバングラデシュに囲まれたこの地域は、アッサム州を中心に7つの州があり、セブン・シスターズと呼ばれてきた(2000年代にシッキム州が加わり、現在の北東部は公式に8州)。

 北東部は南アジアと東南アジアの出会うところとも言われ、タイやミャンマー、ヴェトナムなどの山岳民族と非常に似た文化を持つ人々の住む山岳地と、隣接するベンガル州とつながりのある平野部のアッサム人が出会い、互いの文化を維持しつつも交流や通婚を重ねて独自の文化を育んできた地域である。植民地時代には茶園の労働者として他州の先住民族やネパール人が移住し、また隣接するベンガル地域から多くのムスリム農民が開拓民としてやってきた。こうした歴史的経緯から、インドの中でも文字通りモザイクのように多様な民族が共存する地域となった。

 文化的な多様性と並んで、自然の地理的な豊かさにも恵まれている。北東部の中心を占めるアッサム州には大河ブラフマプトラ川が流れ、流域には川を生活の資源とする人のつながりが生まれた。対して周辺地域は山岳地に囲まれており、焼き畑や狩猟採集を中心とした独自の生計と文化が育まれてきた。大河を中心とした平野部と山岳地帯のコントラストが北東部の魅力の一つである。

 インドを訪れたことのある人でも、近年まで北東部に足を運んだ人は多くなかった。それもそのはず、1990年代後半まで、この地域は武装紛争対策として外国人の入域が厳しく制限されていた。ナガランド州やマニプール州、アルナーチャル・プラデーシュ州など、紛争や対中関係で緊張していた地域に個人の旅行者が入れるようになったのは2011年以降のことである。近年ではアジア・ハイウェイによって、東南アジアや中国と陸路でつながるという計画で注目されており、地域を訪問する外国人の数も年々増えている。

 1940年代から山岳民族による独立運動が起きている北東部の歴史は複雑で、外国人はもとより、インドの他地域の人びとへの理解もあまり広がっていない。しかし、日本にとっては、太平洋戦争中にインパール作戦で現在のナガランド州とマニプール州に侵攻し、多くの被害を及ぼした地でもある。ぜひ今回のYIDFFの特集をきっかけに、北東部の魅力が日本で広まることを願っている。

木村真希子(津田塾大学准教授)