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■ネルソン・ペレイラ・ドス・サントス

■林旭東
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乾いた人生
Barren Lives
Vidas Secas
ブラジル/1963年/ポルトガル語/モノクロ/35mm(1:1.33)/105分

監督・脚本:ネルソン・ペレイラ・ドス・サントス
原作:ガルシリアーノ・ラモス
撮影:ホセ・ローザ、ルイス・カルロス・バレット
編集:ラファエル・フスト・ヴァルヴェルデ
録音:ヘラルド・ロセ
製作:ヘルベルト・リチェルス、ダニロ・トレレス、ルイス・カルロス・バレット
出演:アティラ・イオリオ、マリア・リベイロ
提供:ブラジル外務省文化部

 
ネルソン・ペレイラ・ドス・サントス
Nelson Pereira dos Santos


映画監督。1928年ブラジル、サンパウロ生まれ。大学では法学とジャーナリズムを専攻するが、映画への情熱は断ちがたく、パリに旅して現地で
フランスの国立映画学校IDHEC(現FEMIS)に入学。帰国後、サンパウロで自主製作の短編2本を作り、リオ・デ・ジャネイロに移ってプロの助監督に。1955年『Rio Quarenta Graus』で長編デビュー、現地ロケで一般の人々を出演させる手法で現実社会を生々しく描き出して頭角を表わす。1960年代から70年代、ブラジル映画界で外国の影響を排した新しい映画作りを模索する、シネマ・ノーヴォが盛り上がる中、『乾いた人生』(1963)でその運動の代表的な映画作家としての評価を確立。“シネマ・ノーヴォの良心”とも称される。主な作品に『Como Era Gostoso o Meu Francês』(1971)『Momórias do Cárcere』(1984)『A Terceira margem do Rio』(1994)『Guerra e Liberdade-Castro Alves em Sao Paulo』(1998)など。

「これはブラジル文学史上不滅の作品を映画に忠実に置き換えた作品であるだけではない。何よりも我々の時代の悲劇的な社会の現実、ブラジル東北部に住む2700万人あまりの農民を奴隷的な境遇へと押し込める貧しさについての証言だ」と冒頭に掲げられた字幕が、このシネマ・ノーヴォ黎明期を代表する傑作に最適な紹介だろう。あえて付け加えるならば、現実の生を背負った素人に演じさせ、現実の場で撮影することは当時世界中で起こっていた新しい映画の流れに共通 する手法だが、ペレイラ・ドス・サントスはそれを身軽さという方向に進めようとはしない。彼のカメラは、一度それを見てしまえば他に動かしたり位 置を変えたりすることは考えられない不動の構図を直感的に選ぶ。『乾いた人生』がブラジル版『怒りの葡萄』であるとしたら、この貧しき家族の命に見いだされる真の叙事詩的な力強さは、最良のジョン・フォードに比肩されるべきものであろう。

【ヨリス・イヴェンスについて(審査員のことば)】
私がヨリス・イヴェンスに会ったのは、1956年にパリで開かれた国際映画作家会議でのことだった。
当時自分の最初の映画を作っていた私にとって、それは心踊る体験だった。『雨』、『ボリナージュの悲惨』、『スペインの大地』、1940年代の後半、大学のシネクラブで私たちの世代の者たちに強烈な刻印を残した業績の数々の、その作家に対面 しているのだ。
それ以来、彼が亡くなるまで、私たちは何度も会っている。その思い出のなかに、私は今でも特別 な教えの数々を憶えている。
もっとも重要なこと-光についての秘密を教わったのは、ある春の午後、セーヌの川沿いを散歩しながらのことだった。彼の言葉には、その写 真家としての天才が明らかに感じられ、彼はまるで恋する者の告白でもするように、光のことを映画の主演俳優として語った。光を捕まえられるかどうかは監督次第だ、光は人間と事物をもっともよく知ることができるように、常に変わり続け、常にそこにいるのだから、と彼は言った。どんな時にも常に光と親しくなれるようにすること、光を心から知ること、それを後から芸術的なやり方で再現するのだから、そう彼は教えてくれた。
本当にありがとう、ヨリス。
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