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YIDFF 2005 インターナショナル・コンペティション
パレルモの聖女
アントニオ・グイーディ 監督インタビュー

ストーリーが私を見つけ出した


Q: パレルモのサンタ・ロザリア祭を作品にしたきっかけは?

AG: 80歳になる私の両親は、私に昔の村の暮らしや慣習の話をよく聞かせてくれました。ご覧になってわかるように、パレルモは現代風というより、少し前の時代の伝統的な雰囲気が残っています。両親の経験してきた世界、時代にパレルモのイメージが重なりました。私はパレルモへ行き、中心街から山の洞窟にある聖ロザリアの教会まで、巡礼の道を歩いてみました。教会に入った時、聖ロザリアを撮ろうと感じました。私から『パレルモの聖女』のストーリーに行き着いたというより、ストーリーのほうから私を見つけてくれたという感じです。

Q: 撮影はどのように行われたのですか?

AG: パレルモで、撮影を3回行いました。まず、2002年の7月と9月、7月はロザリア祭が行われる月で、作品の山車やカタツムリが出てくるシーンです。9月には、聖ロザリア教会の巡礼があります。フィルムに問題が生じて、2003年7月にも祭りをもう一度撮影しました。町の人は、非常にオープンに話をしてくれました。友だちのような、前からの知り合いのような感覚を持てたことは、私にとって素晴らしいものでした。彼らにしてみれば、幼い子どもが自分たちのストーリーに興味を持って話を聞きたがっている、そういうふうに感じていたのではないかと思います。

Q: モノクロの映像にしたのには、どのような意図があったのですか?

AG: 下準備でパレルモを訪ねた時に写真を撮ったら、モノクロの写真が、まさに私が頭に描いていた50年代、60年代の町の雰囲気でした。イタリアではネオリアリズモの動きがあって、なかでも、パゾリーニ監督の当時の映像のイメージと重なりました。ですからモノクロにするのは、私には自明のことでした。もうひとつ付け加えるとすれば、パレルモには近代的な部分と古い町並みがあり、モノクロは、両方が調和するという点も挙げられます。人によっては、あの映画を30年代の映像とも未来の映像とも見るでしょう。聖ロザリアの話自体が、数百年も経過して、既に伝説となっています。そういった意味でも、“時”の枠からはずして映画を撮るのが重要でした。他にも、音声の録音にはデジタルではなく昔からのナグラ(テープレコーダー)を使うなど伝統的であることにこだわりました。

Q: 「海のマドンナ」の歌が印象的でした。

AG: あの歌は偶然です。実は、他の男性に歌をお願いしていて、その撮影を終えてから、一緒に飲み屋へ行きました。もしかしたら、彼が声をかけてくれていたのかもしれませんが、そこに集まっていた男性のひとりが、あの歌を歌ってくれたのです。3曲歌ってくれたうち、一番心に響いたのが「海のマドンナ」で、偶然の撮影でしたが、編集の時に入れました。

Q: 山形の映画祭は初めてでいらっしゃいますが、いかがですか?

AG: 山形の映画祭は、ドイツでは有名で非常に高く評価されています。それから、1999年に山形でフラハティ賞を受賞したヘルマン・クラル監督は昔からの知人で、それもあって、私はよく知っていました。観客のリアクションは少し控えめな印象を受けましたが、質疑応答では、とても温かい気持ちで見てくださっているのがわかりました。

Q: 次回作の構想はありますか?

AG: アイディアは色々あります。今は、アフリカ北部の音楽や宗教に関する作品を撮りたいと考えていて、下調べを始めているところです。

(採録・構成:柏崎まゆみ)

インタビュアー:柏崎まゆみ、奥山奏子/通訳:渡辺真理
写真撮影:常陸ひとみ/ビデオ撮影:古瀬正紀/ 2005-10-11