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YIDFF 2009 ニュー・ドックス・ジャパン
日々の呟き
ジル・シオネ 監督、マリー=フランシーヌ・ル・ジャリュ 監督 インタビュー

才気溢れる嘆き節


Q: 撮る側も撮られる側も、太宰治を愛する気持ちがあって、それが見る者にも強く伝わってくる映画でした。様々な立場の方が出演されていますね。

ジル・シオネ(GS): 太宰について様々な考え方・見方をしている人たちを撮っていくことによって、立体的に太宰を作りあげ、複合的な視点で見ることができると思いました。

Q: タイトルに「呟き」という言葉を使われた意図は?

GS: 太宰治を愛する作家の柳美里さんに、太宰についての映画を撮ろうとしていると言ったら、「私にとって太宰の文学というのは、何か囁くような声を持ったものなんです。というのは、太宰は大声でしゃべらず囁くことによって、もっとよく相手に聞いてもらえる人なんだと思うからです」と言われ、その言葉がすごく印象に残りました。また、太宰は作品のいくつかを奥さんに書き取らせ、口述筆記の形で残してきました。ですから、そこには彼の声が伝わっている。そして、その声はけっして叫ぶような声ではなくて、囁くような声だと思いました。それもまたひとつの理由です。

Q: 出演者の女性が、ノーメイクになるシーンが、印象に残りました。演出だったのですか?

GS: 演出ではなく、この映画を撮っているうちに変わっていった、彼女の側面が現れたのかもしれません。

マリー=フランシーヌ・ル・ジャリュ(MFJ): 思いがけないことが、映画を撮っていくことによって現れてくるということですね。仮面がはがれたかのように、自然な彼女の顔がだんだん出てきた。それは、ひょっとすると疲れているように見えたかもしれませんが、私たちには、それが彼女の本当の姿に見えたのです。

GS: 映画というのはモンタージュによって作られていく、という側面があるわけですが、ドキュメンタリーは、それを撮っていくうちに、次第にその真実が現れてくる。そういう瞬間を持っているところが素晴らしいと思います。

Q: どうして太宰治だったのでしょうか?

GS: 私自身、日本文学というより日本文化全体に大変惹かれており、太宰は日本人的であると同時に、普遍的なものを持っているからです。彼の作品には、西洋人も日本人と同様にはいり込んでいくことができると私は考えています。彼の作品というのは、一種の嘆き節のようなところがあるわけですが、ただ単に暗いものではなくて、そこには非常に輝かしい、才気に溢れたものがあるということに感動しました。

MFJ: 日本の読者たちが、単に作品を読むだけでなく、作中の人物や太宰の生き方に自分自身を重ね合わせて、それとひとつになって読んでいるということ、そしてそれに夢中になっているということに大変な驚きを味わったんです。

GS: 私たちはこの映画を撮りながら、何度も「斜陽」を読みました。そうして、読むたびにそこにいろんな表現の層があることを発見しました。それは繰り返し読んだからであり、できればこの映画を見る人も繰り返しご覧いただいて、見るたびに何かを発見していただければありがたいです。

(採録・構成:安彦晴江)

インタビュアー:安彦晴江、知久紘子/通訳:阿部宏慈
写真撮影:ローラ・ターリー/ビデオ撮影:加藤孝信/2009-10-09