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YIDFF 2009 シマ/島――漂流する映画たち
群生するイメージは…島?
キドラット・タヒミック 監督インタビュー

映像――イメージから広がる旅


Q: フィリピンの伝統文化を、作品に取り入れたきっかけを教えていただけますか?

KT: フィリピンで生活していると、過去400年間の、諸国による植民地支配に気づかざるをえません。それによって、西洋からきた文化が支配的になっていくだけじゃなくて、それを伝えるメディアそのものも西洋式になっていってしまう、という問題があります。外国からの文化を受容するというのは、いい面もありますが、なぜ元々ある文化が下位におかれなくてはならないのか、という思いがありました。私は反アメリカ的ではなく、親先住民的と言えると思います。多大なアメリカニズムを吸収して育ってきて、そこから生まれる権力の差に敏感であるがために、アメリカ文化に接した時、同じ目線で対話をしてみたいという思いがあります。また、先住民の文化に敬意を払っていくということは、今のグローバリゼーションが進む世界の大きな流れに、何か有意義な意味を持つ小さな試みではないかと思います。

Q: 監督の作品には、宗教的な映像が出てくると思うのですが、それは既存の信仰なのでしょうか? それとも監督個人の信仰によるものなのでしょうか?

KT: 私には宇宙のようなものに対する信仰が常にあります。それは、私の信念ともいえるものです。そういうものを今、人々が往々にして忘れてしまっているのは、今の時代というひとつの時間の箱が狭いがために、想像力を規定してしまっているからではないでしょうか。もちろんその時代の中で、日常的に様々な仕事をしていかなければならないのですが、そこから逃れるような広い視野を持って、行動や創作をしていくことが重要だと思います。

Q: 映画の中に、フィリピンの映像が多く出てきますが、そういった限定された所の映像を撮っていても、世界中の人に受け入れられるというのは、何か普遍的なテーマがあるからではないでしょうか?

KT: 人間たちは、表層の部分から離れれば、普遍的な感情とかスピリットを持っているのではないかと思います。でも、政治的、文化的、または経済的な出来事によって、制限を加えられるというのが、今の時代ですよね。あたかも、時間というのが神であるかのように。そして、効率というものが、時間が神であるという概念を支え、人々の普遍的な可能性に、制限を加えてしまうのではないかと思います。だから、より重要な豊かさの面から考えていくことができると、人間はもっとポジティブになるでしょうし、100年後の人たちも、そういう方向で生きていくことができるのではないでしょうか。

Q: あるときには、自分でルールを決める決断を下すことも必要ということでしょうか?

KT: はじめから、“ルール”は「疑われることもなくすべて守られる」と意図されたものではない、と考えたとします。そうすればルールは、関わっていかれる、交渉すればいいものになると思います。ルールが疑われることもなく守られれば、警察とか権力を持っている人たちは、当然喜びます。けれど、私たちは疑いもなく守るのではなく、ルールとうまく渡り合いながら、生きていくスペースを作ればいいと思います。そういうことが、世界に住まうという行為をしていくことではないかと思っています。

(採録・構成:佐々木智子)

インタビュアー:佐々木智子、伊藤歩/通訳:井上間従文
写真撮影:千田浩子/ビデオ撮影:千田浩子/2009-10-14