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YIDFF 2009 やまがたと映画
新宿伝説 ― 渚ようこ☆新宿コマ劇場ゲバゲバリサイタル
かわなかのぶひろ 監督インタビュー

個人的な記憶が、人に伝わらないはずがない


Q: この作品は、渚ようこを写したドキュメンタリーであると同時に、監督のセルフ・ドキュメンタリーでもあるように感じられました。どのような思いでこの映画を作ったのですか?

KN: 渚がコマ劇場でリサイタルをやると聞いて、撮影することにしました。渚ようこという女性は、以前から知っていましたし、コマ劇場には懐かしい記憶がありました。私は、自分と関連のあるもの以外を撮ることは苦手なんです。根拠のないものにカメラを向けると、どうしても絵柄やテーマを重視した映画になってしまいます。私は、映画にはむしろ作り手の記憶のほうが重要だと思います。その記憶が作り手の個人的なものであっても、それを通じて、観る側の記憶にアプローチしてくるものがあるはずです。そのような考えでこの作品も作ったので、私自身が映画に表れているのだと思います。そして、撮影をしていく中で、渚ようこの魅力にどんどん惹かれていったことも、映画を観て感じられると思います。彼女がこのステージに懸ける情熱には、素直に心を打たれました。

Q: 三脚を使わずに撮影したのはなぜですか?

KN: システマティックな撮り方をしたくない、という気持ちからです。映画を撮りはじめたばかりのときは、システム通りにカメラを動かしていました。しかし、決まりきった撮り方にこだわらずに、自分の感覚に反応してカメラを動かすことのほうが、大切に思えてきたのです。相手の呼吸が聞こえてくるような映像を撮ろうと考えたのです。だから私は、撮影には1台のカメラしか使わず、自分でカメラをコントロールすることにこだわっているんです。液晶画面ではなくファインダーを覗いて、いい構図を撮ることよりも気配を感じ取ることに、神経を集中させます。インタビューを撮るときは、液晶画面を相手に向けて、どのように写っているのかを確認させ、カメラが相手に何かを語りかけるように撮影しています。また、このことは映画の内容にも反映して、決まりきったシナリオ通りに撮るのではなく、自分と接点のあるものを撮ろうとしたことにも繋がりました。

Q: 何かをつくることは、本質的に孤独なプロセスだと思いますか?

KN: 私は、人間には世代や人種が違っても、共感できる記憶があると思うんです。たとえば、美しい夕日を見て感動することが、誰にとっても自然なことであるように。そう考えると、私の極めて個人的な記憶が、人に伝わらないわけがないんです。“私”を出してはいけないドキュメンタリーの撮り方もありますが、個人的なものだから人に伝わらない、ということはないと思います。世代によって、感じ取ることは違うかもしれません。しかし、何かを感じて、それを自分の中の記憶と結び付けていくことができるはずです。私はむしろ、そんなドキュメンタリー映画が撮りたいのです。そして、そのように異なる世代と世代とを繋ぐ存在は、とても大切だと思います。渚ようこにも、それと同じ魅力を撮影の中で感じました。若松孝二や内藤陳と、若者を繋いだという意味でも、このリサイタルはまさに“伝説”だったと思います。

(採録・構成:高田あゆみ)

インタビュアー:高田あゆみ、加藤孝信
写真撮影:加藤孝信/ビデオ撮影:加藤孝信/2009-09-28 東京にて