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YIDFF 2011 インターナショナル・コンペティション
アルマジロ
ヤヌス・メッツ 監督インタビュー

戦争の闇の深度


Q: アフガニスタンでの撮影体制について教えてください。

JM: 現地では、2009年に3カ月半撮影を行いました。取材は、私とカメラマンのラース・スクレのふたり体制ではじめ、後半の2カ月は私ひとりで撮影しました。ふたりがカメラを持ってパトロールに随行し、大規模な銃撃シーンの多くも私たち自身で撮影しています。また、4人の兵士のヘルメットにカメラをつけて撮影を行いました。ヘルメットのカメラを回収すると、非常に力強い映像が撮影できていることに気づきました。そして、兵士たちがまるでコンピュータゲームの中にでもいるかのような、疑似体験できる映像を作ることができました。

Q: 映画の後半に、負傷した兵士と彼を見舞いにきた仲間たちが、敵を殺した話を嬉々として語り合うシーンがあります。死に非常に近い経験をしたにも関わらず、彼らが笑顔で話すあのシーンは、まさに彼らの人生観が変わった瞬間だったのでしょうか?

JM: 彼らは当初、戦闘でも、仲間が負傷しても、感情を表面化させませんでした。兵士たちは近代化された兵器があるので、敵を殺すという自覚がなくても、殺戮ができてしまうのです。しかし、間近での銃撃戦で、彼らは敵を殺さなければならないという現実を目の前に突きつけられたのです。そして、たった一日で彼らの表情ががらっと変わりました。戦争は兵士たちにとって非常に魅力的かつスリリングなものであり、敵の死こそ彼らが望むものだったのです。当初私は取材にあたって、戦争とはすぐに背を向けて家に帰りたくなるような怖いものだと考えていましたが、実際は、私が想像していたよりももっと暗いものだったのです。

Q: 最近ドキュメンタリーを模したフィクションの戦争映画が多い中で、『アルマジロ』はドキュメンタリーでありながら音楽やカット割りが多く、まるでフィクション映画のように見えました。

JM: 映画制作において、フィクションとドキュメンタリーの境目は非常に曖昧なものだと思います。フィクション映画がドキュメンタリーの手法を取り入れることと同じで、ドキュメンタリーも目の前にある現実を豊かに伝えるために、音楽を使用したり、カメラを複数使ってカット数の多い編集をするなど、フィクションの手法を借りることがあります。

 私は、結局のところ映画というものは、客観的な現実というよりは、映像に登場している人々が何を伝えてくれるかが、一番の力だと思っています。観客のほうも、見ているものがフィクションかどうか意識はするものの、制作者が何を伝えようとするのか、ということにより重きをおいていると思います。

Q: 戦争という極限の状況で興奮や高揚を感じただろう兵士たちは、またアフガニスタンへ戻りたがる人が多いそうですが、彼らと同じ現場で同じような経験をされた監督も、同地へ戻りたいと思いますか?

JM: 多くの映画制作者は、自らの探究心のために映画を作っていくわけで、制作の中で興奮や高揚を感じ、時に暗黒面へと足を踏み入れることがありますが、私はアフガニスタンへ戻りたいとは思いません。

 映画というものには倫理的に正しい映画を作るのか、それとも道を外れても自分の作りたいと思うものを作るのかという境界線があると思います。人と人が撃ちあう『アルマジロ』の撮影現場で、私はこの境界線に限界まで近づいたと感じました。

(採録・構成:梅木壮一)

インタビュアー:梅木壮一、大沼文香/通訳:新居由香
写真撮影:楠瀬かおり/ビデオ撮影:遠藤奈緒/2011-10-10