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YIDFF 2011 アジア千波万波
三人の女性の自画像
章梦奇(ジャン・モンチー) 監督インタビュー

世代を越える母との対話


Q: 映画の中にコンドームを膨らませる場面がありました。それは女性の胸のようにも見えますが、最終的には割れてしまいます。他にも性を象徴する視覚的にストレートな表現が多くあり、監督は性に対して躊躇や抵抗感を持っているのではないかと感じました。

ZM: あの場面は、かつて自分で作り演じたダンス作品の一部を使ったものです。小さい頃は男子も女子もコンドームに興味を持っていて、風船のように膨らませて遊んでいた子もいました。しかしそれはただの風船でしかなかった。想像力が及ばないのです。母や祖母の生きた時代は情報として性的なことは隠されていましたが、私が小さい頃も、いまだにそのような風潮が残っていました。映画には、女の子と一緒に生理用ナプキンを赤い布の上に並べる場面もありますが、この女の子はそれが生理用品だと理解していました。おそらく親から教わったわけではなく、何となく知ったのではないでしょうか。今では、テレビやインターネットなど性の知識を得る手段があり、タブー視され隠されていたことが、もはや隠そうとしても隠せない状況にあります。その状況をただ視覚的に見せるということをしたかったのです。

Q: 母親との関係という点で、どのような教育環境だったのでしょうか?

ZM: 映画の中に反省文の場面があります。母が、文化大革命の時代には自分を含めた大人たちも反省文を書かされていたことを語ります。その時代に育ったわけではありませんが、私も反省文を書かされました。私は母に従うしかなかった。しかし大学の合格通知書をもらったときに、母に対して初めて反抗することができました。その当時、私は自由になった気持ちになりボーイフレンドと遊んでいたのですが、その行動を知った母に「大学に受かったからといっていい気になるな」と厳しく言われました。そのことに対して私は激しく反抗したのです。これから自立するのだという自分の意志を主張することができた。それまでタブーであったことが、タブーではなくなったのです。それをきっかけに、母は私を一人前の女性として見てくれるようになりました。自己主張ができなかった頃、厳しい躾のもとで何を感じていたのか、この映画を見た母親は理解してくれました。これは、私がこの映画を作った大きな実りだといえます。

Q: 監督が自分の体に母親の映像を投影しながら踊る場面があります。母親との間にある世代的な隔たりを埋めようと、もがいているかのように感じました。このような手法をとったのはなぜですか?

ZM: 母の映像を自分に投影することで、違う世代の女性同士の対話を表現したかったのです。同じような運命をたどるのは嫌だと思っても、母や祖母との関係を断ち切ることはできません。母も祖母も私たちには選ぶことができません。映画を撮る以前は、母は母として、祖母は祖母としての存在でしかなかったのですが、異なる時代を生きた女性として客観的に見ることができるようになりました。祖母は今でも体を鍛えるために、毎日体操を続けています。年をとってもなお前向きなその姿に感動しています。そして、母は今、私と友人のように対等な関係でいてくれるし、互いに自立した女性として認め合うようになったと思います。

(採録・構成:小清水恵美)

インタビュアー:小清水恵美、千葉美波/通訳:樋口裕子
写真撮影:勝又枝理香/ビデオ撮影:鼻和俊/2011-10-07