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YIDFF 2013 山形まなび館 持ち込み自主上映
祖父の日記帳と私のビデオノート(日本/2013/41分)
久保田桂子 監督インタビュー

時間をかけて知っていく、そのまなざし


Q: 2004年から祖父の直人さんが亡くなるまでの長期的な撮影でしたが、もともとはどのようなことがきっかけで、この作品を作りはじめたのでしょうか?

KK: 撮りはじめたのは、学生時代からです。大学の授業で「企画を出してみなさい」と言われたとき、「祖父を撮りたい」と答えました。そのときはまだ、戦争の話になるのか、祖父自身の話になるのか分かりませんでした。もともと、祖父との距離をもう少し縮めたいと思っていました。それと、20代の青春時代に戦地で過ごした祖父の体験を、自分が同じ20代になった時、どう思うのか興味がありました。在学中に作品にすることはできなかったのですが、良い“かけらのようなもの”が多く撮れていました。それからも祖父を撮り続けていたのですが、認知症になって、意思の疎通ができなくなったことも、きっかけとして大きかったのかもしれません。

Q: 映画の冒頭から、直人さんが中国で人を殺した話や、盗みを働いた話をされていたのですが、身内からこのようなお話を聞いて、どのように思いましたか?

KK: 祖父は、食卓にジャガイモが出ると、いつも戦争の話をしていました。でもそのときは、「中国の土は乾いている」など、気候の話しかしませんでした。核心に迫るようなことを言ったのは、2004年の正月ごろに、1週間取材をしていたときです。4日目のときに「一番印象に残っていることは、シベリアのことか中国のことか」と聞くと、「人を殺したことだ」といいました。1週間の取材で一度しか話してくれなかったのですが、ショックでした。おそらく、祖父が言いたくてもずっと言えなかったのだと思いました。祖父が、倒れて意識が朦朧としている中、人を殺した記憶を思い出して、病室ですごくおびえていたところに遭遇したこともありました。

Q: 「祖父の日記帳が、家の写真よりも、映像よりも、祖父に似ているような気がした」と印象的なセリフが出てきますが、どのような点でそう思ったのでしょうか?

KK: 日記帳は、四十九日のときに見つけました。何も書けなくなった後も、読みにくい文字でしたが、「畑に行った」など記録がしてありました。取材をした時期の日記も、祖父に悪いと思いながらめくってみたのですが、私に戦争の話をしたことや、中国の地図を貸したことをごく簡単に書いていて、それもまた祖父らしいなと思いました。

Q: ラストは監督のお父さんが、お祖父さんと同じように庭の手入れをしている場面で終わりますが、どこかふたりに重なる部分があったのでしょうか?

KK: 祖父の部屋で、大量に出てきた日記帳をめくっていたら、枝の剪定作業の音がしてきました。そのとき、祖父がいるのかと思いました。いないとわかってはいたのですが、どうしても祖父のことを思い出してしまいました。その体験を再構成しました。

Q: 今作の日記帳や、次回作『海へ 朴さんの手紙』での手紙のように、どこか“手書きの文字”をテーマとして扱うことが多い気がしますが、何か理由はあるのでしょうか?

KK: やはり気持ちは文字に出るのかと感じました。それと、祖父だったら文字に限らず、ちぎれた写真でもいいです。この写真の裏にどんな人生があったのか、知りたくなります。取材している人の感情的な部分や、生活の部分などを、ちゃんと知りたいのですが、必ずしもその人を深く知ることができるとは限りませんから。これからも、時間をかけてゆっくり理解できるものがあったら撮っていきたいです。

(採録・構成:岩田康平)

インタビュアー:岩田康平、室谷とよこ
写真撮影:田中峰正/ビデオ撮影:宮田真理子/2013-10-02 東京にて