English
YIDFF 2015 アジア千波万波
見つめる(特別版)
葉雲(イエ・ユン) 監督インタビュー

観察者として寄り添う


Q: 最初に制作されたインスタレーション作品について、またそれがドキュメンタリー作品へと発展していった経緯を教えてください。

YY: 私の専攻は、もともとパブリックアートなのですが、作品制作をしていくうえで、自分は観察者の視点で人間を見るということに、より向いているのではないか、観察者になりたいという欲望がわいてきました。最初に制作したインスタレーション作品は、北京の都市部と湖南省の農村、それぞれの子どもたちの生活を、同時に映すというものでした。ここでは2つの画面の対比によって、格差というひとつの社会的問題が浮かび上がってくるわけですが、それはとても表面的で、その背景にある人間個人の複雑さというものは見えてこない。子どもたちと長い時間をともにするなかで、彼らの微妙な気持ちをもっと汲み取りたい、その複雑さをもっと見つめたいと思い、長編の制作に至りました。

Q: 林生(リン・シェン)と欣媛(シン・ユェン)が言葉につまったり、黙ってどこかを見つめている時の目が印象に残りました。

YY: 2人ともとてもデリケートで心理的に複雑なところをもっていて、そこに強く惹かれました。彼らの目にはそのことがよく現われていると思います。感情を上手く表現できない2人の様子を見ていて、辛い気持ちになることがよくありました。

 実は農村での撮影において、彼らの話しているミャオ族の言葉を私はまったく理解していません。編集するときになって初めて、その村のパソコンを使える人に訳してもらったのです。言葉を理解していないので、より内面を見つめるように、彼らによりそうことができたと思っています。

Q: 言葉がわからずに撮るということは、観察者としてより高度なものが求められると感じましたか?

YY: 言葉が聞き取れないことは問題になりませんでした。編集のときに会話の内容を知り、撮影時のことを思い返してみても、そのときの空気に溶けこむことができていた、彼らの気持ちを共有できた、と感じました。逆に北京でのやりとりは、すべて聞き取れるのですが、言葉が軽いような気がしました。農村での撮影の時ほど、溶けこんでいけるという感覚は味わえませんでした。

Q: 2人の物語を交互に見せていく構成になっていましたが、どのようなことを意識して編集されたのでしょうか?

YY: 心がけたのは、形式的、表面的な都会と田舎の対比を持ち込まないようにしようということです。登場人物の情感、意識の流れで画面をつないでいくという編集にしました。実際問題、都会と田舎の差はとても大きいのですが、両方の画を交互につないで一緒にするという仕方は適切だったと思っています。なぜならそれが実際の生活だからです。同じ中国で、同じ土台で起きていることだから、感覚の上でも自分にとって自然な方法でした。

Q: 公式カタログの文章に「彼らから、幼かった頃の自分を抱きしめる機会を与えてもらった」とありますが、2人に重ねていた監督自身の記憶や思いとはどのようなものだったのでしょうか。

YY: そういう感覚をもったのは編集の時です。膨大な素材を見ていくなかで、彼らの世界を通して自分の中に踏みこむ、自分の内面に入っていくような感じがしました。彼らが今向かい合っている内面の世界、それが自分の幼少期と重なるような気がしたのです。またそういうプロセスを通して、自分を受け入れてあげようと思うようになりました。

(採録・構成:宮田真理子)

インタビュアー:宮田真理子、狩野萌/通訳:樋口裕子
写真撮影:キャット・シンプソン/ビデオ撮影:平井萌菜/2015-10-13