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YIDFF 2015 アジア千波万波
テラキスの帰郷
莎韻西孟(サーユン・シモン) 監督インタビュー

映画に撮ることで、タイヤル族の伝統文化を遺したい


Q: 監督の故郷はとても美しい村ですね。出演されてる方々も家族思いで、心地よい雰囲気の漂う映画でした。私は実際の粟を見たことはありませんが、映画のなかでは黄金色でとてもきれいでした。ご自身の出身であるタイヤル族を、意識されたのはいつごろですか?

SS: 私たちは漢民族の文化と教育を受けつづけてきました。過去には日本の植民地支配や、国民党の支配を受けてきた民族です。その歴史の中でタイヤル族として何を遺せるか、真剣に考えだしたのは、先住民族チャンネルのテレビ局に入り、記者として仕事をしだした20代です。そのころから徐々に、自身のルーツを探すドキュメンタリーを撮りはじめました。

Q: ジャーナリストだった監督が、自分の村を映画に撮ろうと思われたのは、なぜですか?

SS: 自分の村に行き部族の生活を撮ることは、出身者だからこその良いことと悪いことがありました。普段は、記者だった経験から特別なものを見つける目があったはずが、身近すぎて気づかず、他の部族の人に見てもらい発見したこともありました。

 撮影の具体的な動機ですが、タイヤル族の伝統を守っていたお年寄りが、次から次へと亡くなっていくのを目の当たりにし、部族の伝統を強く持つこの人たちがいなくなると、今後タイヤル族はどうなっていくのか、このままではタイヤル族の文化は消え去ってしまうと危機を感じたことです。私たち若い世代はタイヤル語を話せない人も多いので、伝統文化を守ることができなくなってきています。私はこの映画を撮ることで、タイヤル族の伝統的な規範や文化、独特の精神的なものを映画で遺しておきたいと思ったんです。

Q: 映画の中でタイヤル語を学ぼうとされていましたが、タイヤル語は文字がない言葉だと聞いたことがあります。どのように勉強されているのですか?

SS: タイヤル族はオーストラリアのマオリ族と同じ南東民族に属し、太平洋一帯に分布する海洋民族の一種なんです。文字を持たない民族なので口承によって民族の歴史を伝えています。その方法は主に歌にする形でした。歌詞の中に、どこからきてどこへ行ったという民族の変遷や、タイヤル族の人としてどうあるべきとかなどを盛り込み、歌にすることで次の世代を教育してきたんです。文字がないので、歴史などの詳細は日常の暮らしの中に組み入れてきました。私たち若い世代は、ローマ字で音を書いてタイヤル語を勉強しているんです。ちなみに台湾の先住民族はどの民族も、文字を持っていません。

Q: 映画の最初のほうで、名前が3つあり、名前と身分は場所によって変わるとありましたが、それはどういう理由ですか?

SS: 村での名前の思韻(スーユン)は幼名です。陳夢莉(チェン・モンリー)は父が届け出た名前、 莎韻西孟(サーユン・シモン)はタイヤル族の自覚が出てきたとき、 タイヤル族の名前はないか父に聞き、姓のないタイヤル族の名前、莎韻西孟(サーユン・シモン)と名乗るようになりました。前の莎韻が自身の名前で後の西孟が父の名前、つまり父子連名でどのお父さんの子どもかが分かるんです。ちなみにタイヤル族の人はキリスト教の人が多く、父の名前もキリスト教の十二使徒の「サイモン」からきていて、漢字にすると「西孟(シモン)」となるんです。

(採録・構成:楠瀬かおり)

インタビュアー:楠瀬かおり/通訳:樋口裕子
写真撮影:岩田康平/ビデオ撮影:宇野由希子/2015-10-09