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YIDFF 2017 インターナショナル・コンペティション
激情の時
ジョアン・モレイラ・サレス 監督 会場質疑応答

激情の時が終わり、普通の日常が戻った時に生き続けるために


Q: アーカイブ映像を多用する一方で、監督個人の思い入れも感じさせる作品です。どこからこの作品の着想を得たのでしょうか?

JMS: ある時、母が中国を訪問して撮影した映像を見つけました。それに大きな衝撃を受けました。映像は全部で16分だったのですが、それを何度も繰り返して使いました。同じ映像でも映画が進行するなかで違った意味合いが見いだせると思います。文化大革命の時代の映像は非常に貴重です。特に母は、中国のイデオロギーに賛成していたわけではなく、むしろまったく逆と言えるブラジルの保守的なカトリック教徒なのです。母は当時の中国に政治的なレベルで反応するのではなく、審美的なレベルで中国を温かく抱きとめたように思えました。そのことが私には興味深く感じられました。

Q: 5月革命時のパリと、ソ連侵攻時のプラハを対比的に描いた理由はなんでしょうか?

JMS: 母の映像を読み解くなかで、過去の映像を理解しようと試みました。映像の中の人々が「なぜそうするのか?」という問いです。民主主義体制(フランス)と独裁体制(チェコスロバキア)では、映像の撮られ方が異なります。それは政治的な影響だと言えます。パリの映像の多くが人々の近くで撮られています。それは、カメラを持つことに何の危険も無かったことを示しています。民主主義体制のもとに人々が守られていたのです。一方、プラハの映像は大きくぶれています。そのように、思ったよりも大きなことが映像には刻まれているのです。

 1968年8月のプラハでカメラを持っていた人たちは、さまざまな軍が侵攻してきた様子をとにかくカメラにおさめておこうという気持ちだったのだと思います。彼らはフィルムを現像することも、誰かに映像を観せることもできなかったわけです。撮影者が誰なのか分からないものもあります。当時は名前が知られると、危険だったからです。そのような危険を冒してでも歴史の証人になろう、どんな悲劇であろうとも記録しておこうという気概に私は心を打たれました。

Q: お母さんの映像と出会った「衝撃」は、監督にどのような影響を及ぼしましたか?

JMS: 母のフィルムでは、いつもカメラが美しいものを追いかけていました。その中に、私が知らない母を見いだすことができました。残念ながら実際の人生では、あのような母には出会うことができなかったのです。それで考えはじめたことがあります。あのような激しい瞬間、それが政治的な理由であれ、美しいものに触れるということであれ、とても情熱を掻き立てられるような瞬間というのは、いつかは冷めてしまうということ。そして、そういった瞬間が消えた後、普通の日常が戻ってきた時に、それでも生き続けるために、人生にどのような意味を見いだしていけばいいのかということです。それこそが私が興味深いと感じる命題です。

 1968年時点の運動に関して、私は敬意を抱いています。あの世代の人々が世界を変えようとしていたこと。しかしながら、それが早いうちに終わってしまったこと。それを考えると悲しい気持ちに襲われます。チェコスロバキアでは悲劇的な結末となりましたし、日本では暴力的なかたちに終わり、ドイツやイタリアでも多くの死者を出しました。ただ、悲しみとともに、彼らがやろうとしたことに誇りを持ち続けてもらいたいとも強く感じます。彼らが目指したことは成就できなかったとしても、この世界をより良い場所に変えようと試みたこと自体が、とても尊いことだと思うのです。

(構成:沼沢善一郎)

通訳:山之内悦子/写真撮影:佐藤寛朗/ビデオ撮影:佐藤寛朗/2017-10-06