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YIDFF 2017 アジア千波万波
創造の発端 ― アブダクション/子供』『肉屋の女
山城知佳子 監督インタビュー

生き延びる方法の模索


Q: 『肉屋の女』はドキュメンタリーと、フィクションをまじえて作られた作品ですが、どうして、そのような方法にしたのですか?

YT: 私の経験に基づいた心象風景を撮りました。私は沖縄で生まれ、青年期になり、周りの人に言われて、やっと自分が置かれた境遇に気づきました。そのときに沖縄は、すでに土地を奪われた状態で、人々の悲しみや、怒りは、行き場を失い、その場に漂っていました。それらは自然と作品に出ています。どうしてこういう状況になったのかを理解しようと思って、私は映画を撮っています。そして、沖縄の現状を打開し、本当の幸せとはどうやったら得られるのかを考えています。

 島特有の閉塞的な空間に、押しつぶされそうになりながらも、先祖はその中でどう生き延びてきてきたのかを考え、この映画を制作しました。一見、男女の関係の映画に見えるかもしれませんが、そうではありません。沖縄特有の、アメリカと日本がごちゃまぜになったような状態を、ひとつのマーケットを舞台に表現しました。はじめの肉が浮上してくるシーンから、最後の女たちが海に戻って抱き合い、肉のような塊になり浮上していくシーンは、最初に戻るような構成に見えますが、戻ったのではなく、脱出の方法を見出し、新たな体となって生き延びていく様子を描いたのです。

Q: 『肉屋の女』と『創造の発端』には、どちらも鍾乳洞での撮影シーンがあったのですが、どんなメッセージを込めていますか?

YT: 地球そのものをひとつの生命体に見立てたとき、鍾乳洞は地球の内部、体内だととらえています。人は大抵、鍾乳洞に対し神秘的な印象を持ちますが、洞窟はただそこにあるだけで、何の意思も理由もありません。穴がゆっくりと奥まっていく、ただのその営みが、人間の体内で秘密裡にうごめく内臓のように感じられました。そのため、メタファーとして、鍾乳洞を使用しています。肉屋の店の中に鍾乳洞がある設定にして、店の中の肉体化を想像して制作しました。

Q:「他者の経験を継承することは可能か?」というテーマを元に制作されたふたつの映画ですが、監督の想像する、継承できたと思う瞬間はどのようなものですか?

YT:『創造の発端』では、大野一雄の舞踏を再現しようとする川口隆夫さんが、亡くなった大野さんを呼び寄せ、彼の動きや、形から、大野さんに近づこうとします。そのうち、体が馴染んでくると形を意識しなくなります。内面が変化していき、感情もその人のようになっていきます。それを見て、私は自我がコピーできるのかという疑問を持ちました。川口さんは感情までもコピーしようと試みますが、自我を失う可能性もあるとても危険な行為です。また、継承したと思っていたものを、思い込みで終わらせないためにも、客観性を伴う必要があります。それがあってはじめてコピーが成立したことになります。しかしそれは外側からは見えない行為です。この作品では、新たな肉体に変化し、最終的には、彼が自分の踊りを踊りだす、その瞬間を捉えようとしました。

 人は、「継承できた」と思い満足してしまった瞬間、継承したと思っていたものを、忘れてしまいます。継承することは不可能かもしれないけれども、やはり、それを知りたいと思い、語り継ごうとしつづけたいと思います。私は継承しつづける、ひとつの方法として、映像を選んでいます。

(構成:名畑文草)

インタビュアー:名畑文草、棈木達也
写真撮影:狩野はる菜/ビデオ撮影:田寺冴子/2017-10-07