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YIDFF 2019 インターナショナル・コンペティション
自画像:47KMの窓
章梦奇(ジャン・モンチー) 監督インタビュー

過去と未来、そして生命力


Q: 前作の『自画像:47KMのスフィンクス』同様、『窓』も冬に撮影されています。その理由は?

ZM: 冬は、旧正月があり、村の人たちが戻ってくる時期でもあります。また、冬の静けさは、暮らしのもの悲しさを映し出すと感じています。冬の撮影を始めたころは、1〜2カ月程度の滞在だったのですが、最近は3〜4カ月滞在するようになりました。そうすると、冬から春への変化を捉えることになります。それは、あたかも何かが蘇生していくような情景でもありました。

Q: 歴史を語る老人と若い女の子、対比させながら描く手法が面白いと思いました。

ZM: 私が村で最も時間を費やしていることは、村人とのお喋りです。そうしているうちに溜まっていったのは、老人と子どもの素材でした。老人や子どもと語るということは、両端に触れていることだと気づきました。つまり、過去と未来です。私は「自画像」という作品を作り続けています。村に入っていくにつれ、現在の自分を見つめるには、過去と未来に向き合わなければならないと気づかされました。村と出会ったことは、私にとって大きな贈り物でした。

 村に対して保守的という評価を下すことは簡単なことかもしれません。しかし、村に通いつめるたびに多くの発見があり、村に対して簡単な評価はできなくなっていきます。村の豊かさは多面的で、それらを理解していくには、分厚い本を読み進めるかのように、少しずつ学んでいくほかないのだと思っています。

Q: 李貴庭が回想するシーンがあります。火鉢の側に佇む画と、彼の語りの組み合わせが印象的でした。

ZM: ひとりの人を描くとき、そこには、関係する人が多くいるはずです。その多層的な関係性を描こうという意図のもと、画と語りを組み合わせる手法を試みました。引きの画で撮っているのは、彼の部屋とも対話していると捉えたからです。彼の部屋には1949年から今日までの歴史が満ちていて、建物、壁、木、壁に掲げられた毛沢東の眼差しもまた、何かを語りかけていると感じました。彼への取材は2012年から始めています。当初は、大飢餓の問題などに焦点を当てていたのですが、中華人民共和国が成立する以前の時代のことも語ってくれるうちに、私自身が彼の話に興味を持ち、次第に「好きなように話してください」とお願いするようになりました。

Q: 「窓になる夢を見た」と踊るシーンがありました。このシーンに込めた意図は何でしょうか?

ZM: 私は前作の『スフィンクス』から隠喩的なシーンを多く挿入しています。今回は、村を舞台に見たてて、生命を表現しました。私が踊っているのかな? と思うのでしょうけど、実際は方紅(ファンホン)が踊っています。この踊りのシーンだけではないのですが、私たちが出ているシーンは、「方紅」でもなく、「私」でもない、「方紅と私が交じりあった何か」と考えています。  撮影を進めていくと、その人が、自分以外の何かになっていることを意識する瞬間がありました。たとえば、李貴庭もそうで、彼は彼であると同時に、私たちを歴史に誘う案内人のような存在でもあったのです。

Q: この冬も村に通われるのでしょうか?

ZM: ええ。私はいま、村に小さな空間を作っています。その空間をワークショップや、映画を上映したりする場所にしていきたいと思っています。あの村に、村だけでは得られない何かをもたらせればと考えています。

(構成:松木兼一郎)

インタビュアー:松木兼一郎、佐藤寛朗/通訳:秋山珠子
写真撮影:田寺冴子/ビデオ撮影:楠瀬かおり/2019-10-13