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FIPRESCI & NETPAC審査員、賞一覧


FIPRESCI


 FIPRESCI(国際批評家連盟)には60年以上の歴史がある。今では世界中で60以上の国々に支部を持つ(日本:日本映画ペンクラブ)この組織の主な目的は、芸術としての映画を優れて独立した表現手段として支援することである。またFIPRESCIは会議やセミナーを催し、インディペンデント映画製作と自国映画を保護し、奨励していこうとする文化活動にも積極的に関わっている。我々の「国際批評家連盟賞」(FIPRESCI賞)は国際映画祭の場で与えられ、映画芸術の促進と、特に若く新しい映画の推奨を目指している。我々はこの賞によって、映画の配給規模が広まる、あるいは配給そのものが実現し、社会の注目を浴びる一翼を担えることを願っている(時には確信している)。ドキュメンタリー作品のために捧げられているこの重要で名高い山形映画祭に我々の審査員がこの賞と共に参加できることを感謝している。

FIPRESCI事務局長 クラウス・エダー

FIPRESCI賞審査員


レオ・バンケルスン

1947年生まれ。フリーの映画批評家で、主にオランダ・プレス・アソシエーション(GPD)というオランダ地方紙のグループで活躍している。オランダ映画ジャーナリスト・サークル(KNF)の委員で、今年初めに開かれた国際的映画批評についてのKNFセミナー「カルチャー・ショックス」の主催にも関わった。ドキュメンタリー映画は特に関心がある分野のひとつである。「現実そのものによってフィルムメーカーが直接的に問われる場がドキュメンタリーだ。」


井坂能行

日本映画ペンクラブ、日本映像学会所属。東京造形大学と日本工学院専門学校で講師。映画研究者、監督、プロデューサー。1960年代よりドキュメンタリー及び映像と教育を主題に映画研究と評論に着手。また、岩波映画にて、受注作品中心に同社の多様な製作分野に多年携わった。1960年代後期は組合役員として小川紳介監督初期作品群の組織的サポートを推進。劇映画評、ルポ執筆等も行い、作品づくりでは特に地域の特性と変遷の記録、人権の啓発・教育等に力を注いできた。


アルタフ・マジード

ゴウハティ大学で土木工学修士号取得。インド人民劇場協会の活動家として熱心に文化活動に携わり、「シネクラブ運動」に関わってきた。80年代にはインドの芸術映画を振興するためアンウェシャクという団体を共同で創立。映画関係の記事も多数執筆。既に多くの論説が発表されている。現在、公的な映画研究所である映画文化センターの事務局長在任中。

 


NETPAC


 NETPAC(アジア映画促進会議)は25の国メンバーからなる国際組織である。本部はシンガポールにある。1990年にアジアで製作されるアジア映画を世界に広めることを目的に創設された。NETPACの多彩な活動の一環として、アジア出身の経験豊かな或いは台頭してきている若い監督たちの独創的または素晴らしい作品を認めようと1994年にNETPAC賞をいくつかの国際映画祭に設置した。この賞は映画祭で上映されるアジア映画に授与され、どのような部門に出品されているかは問わない。3人のNETPACメンバーをこの賞の審査員として毎年招聘する国際映画祭は増え続けている。これらの映画祭は、アミアン、ベルリン(ヤング・フォーラム)、シネマニラ、ダッカ、カルロヴィ・ヴァリ、プサン、ロッテルダム、シンガポール、台北ドキュメンタリー、山形など。

NETPAC賞審査員


石坂健治

1960年東京生まれ。国際交流基金アジアセンター専門員。1990年より50を超えるアジア映画上映会を企画運営。最近の事業に「インド映画の奇跡:グル・ダットの全貌」、「2001韓国映画プロジェクト」などがある。東北大学及び明治学院大学講師。韓国芸術綜合学校招請教授。原一男著『踏み越えるキャメラ』の編者を井土紀州とともにつとめた。


ナム・イニョン

1963年ソウル生まれ。映画批評家、韓国の弘益大学で教鞭をとる。ニューヨーク大学映画学科でMAを取得、ソウルの中央大学で博士課程。1986年から1993年までソウル・ヴィジュアル・コレクティヴでドキュメンタリーの製作に携わる。1997年よりソウル女性映画祭、2001年にソウル・インディペンデント・ドキュメンタリー映画祭の作品選考担当。2000年プサン国際映画祭では韓国の短編とドキュメンタリー作品の選考担当に参加した。過去に何度か国際映画祭の審査員を務めた。


ゴトット・プラコサ

1955年生まれ。ジャカルタ芸術大学で映画を学び、1975年以降8mm、16mmで多くの実験的アニメーション作品を発表、各地の映画祭で作品が上映されてきた。本映画祭93年のアジア・プログラムで、『メタ・メタ』(1977)、『ジェネシス・ジェネシス』(1981)など5作品を上映。現在ジャロット兄弟のエカプラヤ・フィルムに参加する傍ら、ジャカルタ芸術大学で教鞭をとっている。