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学校プログラム

東北芸術工科大学

デザイン工学部情報デザイン学科映像コース
〒990-9530 山形市上桜田200番地
Phone: 81-236-27-2000 Fax: 81-236-27-2081
URL: www.tuad.ac.jp

1992年山形新幹線の開通と同時期に山形県・市と私立学校法人とによって、公設民営大学として開学された。東北・北海道地区最初の芸術・デザイン系大学であり、芸術学部、デザイン工学部、大学院、合わせて約2000人の学生数を持つ。情報デザイン学科映像コースは1学年37名ほど。写真、ビデオ、コンピュータグラフィックスを3本柱としその他、キネティックアート、インタラクティブアート、ゲームデザインなど、新たな時代に対応するメディア・アーティストの養成を目指している。

 


車は走らなくても、よかった。

It Was Alright, Even If the Car Didn't Run

- 2002/カラー/ビデオ/10分

監督、撮影、編集、ナレーター:大木千恵子

今まで家においてあった車は、父が田んぼから拾ってきた車だった。出所のよくわからないこの車を家族の誰もが嫌がっていた。が、突然父が車を売ると言った。家族が父と車に対して、抱いていた思いもよらぬ発言。思っていた以上に家族は暖かかった。


大木千恵子

1980年生まれ。東北芸術工科大学情報デザイン学科映像コース卒業。現在イメージフォーラム付属映像研究所27期生。

 


- 砂の入った靴のままで

With the Sand Still in His Shoes

2000/カラー/ビデオ/12分

監督、編集:黄木優寿
撮影:黄木優寿、上林誠、後藤志保
音楽:バンバンバザール

作り手の黄木優寿が黄木優寿を演じ始める。カメラに向かって語り出す。武器をとって行動を起こす。吟遊詩人をきどる。伝えたいこととは何だったのか……。砂の入った靴のまま、立ち止まって靴底をたたくのでなく、違和感を確かめながら走っていくには?


黄木優寿

1977年、山形県米沢市生まれ。1997年、東北芸術工科大学情報デザイン学科映像コースで映像制作を始める。2001年同校大学院芸術工学研究科へ進学し2003年修了。

 


シンポジウム
ドキュメンタリーは教えられるか

日時: 10/14(火)19:00〜 場所: 山形市中央公民館4F

司会者
加藤到

1958年、山形県鶴岡市に生まれる。現在、東北芸術工科大学情報デザイン学科映像コース助教授。1977年、和光大学人文学部芸術学科に進み、同年、イメージフォーラム付属映像研究所の1期生として映像を学ぶ。『FADE OUT』、『ゴーランド』、『Zero-TV』、ハンガリーのレティナ'91で受賞した『SPARKLING』などフィルムやビデオによる多くの映像制作のほか、ミニFM局やインスタレーションなど幅広い創作活動を続けている。 国民文化祭


参加者プロフィール
原一男

1945年生まれ。『さようならCP』(1972)で監督デビュー。主な作品に『極私的エロス・恋歌1974』(1974)、『ゆきゆきて、神軍』(1987)、『全身小説家』(1994)など。現在は初の劇映画『またの日の、知華』を製作中。1995年より「CINEMA塾」の塾長を務める。1998年には早稲田大学文学部客員教授となる。2002年からは日本映画学校の専任講師となり、若い作家の育成に力を注いでいる。


安岡卓治

1954年、東京生まれ。原一男監督作品『ゆきゆきて、神軍』をはじめ、山谷哲夫や平野勝之らの自主制作映画に参加。森達也監督作品『A』『A2』を製作。横浜放送映画専門学院での卒制指導を契機に1988年、日本映画学校の担任となる。名物授業「人間研究」の草案作りなどカリキュラムづくりから地域の文化事業まで同校の活動を幅広く支える。


佐藤真

1957年生まれ。ドキュメンタリー映画作家。『阿賀に生きる』(1992)、『まひるのほし』(1998)、『SELF AND OTHERS』(2000)、『花子』(2001)などを監督。著書に『ドキュメンタリー映画の地平』『映画の始まるところ』など。映画美学校、京都造形芸術大学で後進の指導にもあたる。現在、『阿賀に生きる』の地で記憶と痕跡をテーマにした新作を構想中である。


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