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激情の時

In the Intense Now
No Intenso Agora

- ブラジル/2017/ポルトガル語/カラー、モノクロ/DCP/127分

監督、脚本、テキスト:ジョアン・モレイラ・サレス
編集:エデュアルド・エスコレル、ライス・リフシッツ
整音:デニルソン・カンポス 
音楽:ロドリゴ・リャオ
エグゼクティブ・プロデューサー:マリア・カルロッタ・ブルーノ
資料関連プロデューサー:アントニオ・ヴェナンシオ
ポスト・プロデューサー:マルセロ・ペドラッツィ
配給:VideoFilmes

文化大革命初期の中国、五月革命時のパリ、ソ連侵攻時のプラハ─。本作を構成する、各国の路上で無名の市民やドキュメンタリストが撮影した映像群には、学生蜂起、東西イデオロギー対立、階級闘争といった象徴的な歴史イメージに加え、当時を生きた人々の喜び、高揚、開放感、そしてその終焉、怒り、失望が記録されている。サレス監督は、自身の母による1966年の中国訪問記や、60年代のアーカイヴ映像に映し出された人々の情熱を読み解き、政治・歴史的スペクタクルと個人の生との関係、その記録の意味を問いかける。



【監督のことば】12年前、前作を完成させた頃のことである。どんな巡り合わせがあったのか、母が1966年に中国へ旅した際に撮影した16ミリフィルムが見つかるということがあった。毛沢東による敵性分子排除の急進的、暴力的なプロセスが5月に開始されるこの年に、私はかねてより驚かされてきた。一介の観光客としてこの国を訪問しようとしていた母が、この出来事を予見できたはずはない。旅程は前々から計画されており、そんなわけで、当局への支払いも事前協議も済ませていた母――ブラジル中心部の保守的な州に生まれたカトリック信者の女性――は、文化大革命期の中国に降り立ったのである。

 旅のことはともかく、撮影フィルムについては知らなかった私は、その映像に驚愕した。旅が進むにつれ、カリスマ的指導者の姿に心酔する大衆の光景は素材から消えてゆき、代わりに風景や湖や事物が映されるようになってゆく。フィルムの発見から間もなくして、私はアメリカのある雑誌に掲載された母の記事を入手することができた。その文章を読んだ私は、映像を見て受け取っていた印象をますます強めることになる。イデオロギー的な見地からすれば母と中国は正反対だが、この国に対する母の反応はさほど否定的なものではない。むしろ逆に、母は中国に心動かされ、そこで幸福なひと月を過ごしていた。母は、残りの人生では失われてしまうことになるその強烈な歓びを、フィルムや文章に記録していたのである。

 本作が語るのは、こうした大いなる激しさをもつ瞬間のはかなさについてである。この個人的な出来事の記述は、フランスやチェコスロヴァキア、さらにはより小規模ながらもブラジルで起きた1968年の事件の映像と並べられることで、歴史上のこの時期に対する省察へと導くものとなる。すべてアーカイヴ映像からの抜粋によるこれらのシーンは、そこに映る人々の精神状態――歓び、魅惑、恐れ、失望、落胆――を露わにするのみならず、記録資料とその政治的コンテクストとの関係にも光を当てている。民主的な体制では、あるいは強権的な体制では、さらには全体主義的体制では、私たちはそれぞれどのように撮影を行うのか? 当時の映像に目を向ける者は、パリについて、プラハについて、リオデジャネイロや北京について、それぞれ何を言い得るのか? なぜこうした都市は、それぞれ特有な形の記録を生み出したのか?


- ジョアン・モレイラ・サレス

多数の受賞歴を誇るブラジルのドキュメンタリー映画作家ジョアン・モレイラ・サレスは、連作『Japan, a Journey in Time』(1985)の脚本家としてそのキャリアを出発させた。1985年には、後に『セントラル・ステーション』(1998)、『ビハインド・ザ・サン』(2001)、『シティ・オブ・ゴッド』(2002)などを手掛けることになる映画制作会社「VideoFilmes」の共同設立者にもなっている。自身の監督したドキュメンタリー作品には、ブラジル都市部にはびこる暴力を描いてエミー賞を獲得した『News from a Personal War』(1999)、ブラジル人ピアニストの生涯に取材した『Nelson Freire』(2003、ブラジル映画大賞最優秀ドキュメンタリー作品)、ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァがブラジル大統領に選出されるまでの舞台裏に迫る『Intermissions』(2004)があり、アルゼンチン人執事についての作品『サンティアゴ』(2007、YIDFF 2015)は、またもブラジル映画大賞最優秀ドキュメンタリー作品に選出されている。2006年以降は、長文ジャーナリズム専門の月刊誌『Piauí』の発行人も務めている。本作はベルリン国際映画祭でプレミア上映され、フランスのシネマ・デュ・レールでは3つの賞を獲得した。